新たな一歩から 5.16〜6.11
日記TOPへgo!



★5月16日
現在時は16日午前9時40分。ついさっき和ちゃんはデイサービス・和みのときへ向かった。
しかし、昨日の日曜日はオレにとっても和ちゃんにとっても悲痛だった。午前中は良かった。午後3時頃、和ちゃんが尿採りパッドにどんぐり大のウンコを付けていた。ここから摘便の始まり。摘便はトイレでウンチングスタイル。和式のポッチャンタイプだから底が深いのだけれど、筒も長い、そこへ和ちゃんが左脚を落とした。筒が長いから便漕ははるか下でクソまみれになることはないのだけれど左膝を強くうち打ち身。
で、最近は和ちゃん、ウンチングスタイルをとることを忘れたみたいで、なんとか姿勢を確保したものの途端、後方にそのまま落ちてきた。オレの後頭部から首へ。オレもこの辺りに鈍痛が続いている。摘便2回。その後、眠るまでチビチビウンチが続く。
夜、パッドの位置が悪かったのか? オシッコが背中の方まで漏れる。布団へも濡れる。テンヤワンヤの一日だった。和ちゃん。足腰の弱りが目立ち始めた。もう、和式はキツイのかな?
そういえば和ちゃんの右手首にハッキリと血が浮かぶ痣。昨日、オムツ(パッドではない)交換を4回やっている最中、一度だけかなりキツク両手を拘束した。胸が痛む。

★5月17日
今日のデイサービス・さっちゃん家からの連絡帳には、さっちゃん家に着いた早々に車から走って逃げたとのこと。和ちゃんに異変が起きているようでもあるけれど、まだまだ走れることに思わず笑ってしまった。とはいえ、和ちゃんのアルツハイマーは加速している。不穏なとき、オトコ言葉で人をなじるようになった。オレが歯磨きなどをしてやっているときに、このオトコ言葉でなじられるとスコブル頭にくる。
ところで昨夕、和ちゃんがデイサービス・和みのときから帰宅早々、着替えをしているときに発見したのだけれど、右後方臀部に紫の痣。記憶にはないのだけど、一昨日、摘便をしているときにオレがドヅイタのだと思う。和ちゃんも災難だ。和みのときでは摘便をお願いしてたのだけれど、脚をバタバタして抵抗したとか。不憫だけど仕方ない。でも、良く眠る。これだけは継続させてやりたい。死守。大袈裟だな。

★5月18日
今朝、デイサービス・さっちゃん家へ出陣時、和ちゃんはかなりゴネた。さっちゃん家へ行く体勢にはなったものの、車になかなか乗り込もうとしない。朝食のときからスコブルご機嫌が悪く、オレはお叱りをかなり頂戴した。まあ、ヘルペスの痛みもほとんど消え、体調は良くはないけれど悪くもないので和ちゃんのお叱りを素直に拝聴。ストレスにはなるけれど自己嫌悪には無縁。
とはいえ、本日のさっちゃん家からの連絡帳では、一日長閑で穏やかに過ごしたとのこと。帰宅してからも喋りまくり。オレには意味不明言語で。
今、午後7時40分。お袋様は爆睡体勢に突入の模様。

★5月19日
なんだか長閑な昨日と今日。今、午後8時過ぎだけれど、和ちゃんはシッカリ猛睡。ありがたいことです。
でまあ、特別に記すこともないのだけれど、デイサービス・さっちゃん家の三木さんから、さっちゃん家が発行している『さっちゃん家通信』に“母の日にむけて”というタイトルで書いて欲しいという依頼がありました。それも今日中に。午後2時頃。
でも、字数が400字程度だから即、書いて送信。こんなことぐらいかな今日は。
オオッ!! 今日アップしたオレのシブイ写真。女性陣方々。取り扱い注意!! でお願いいたします。

★5月20日
午前中、京都のミネルヴァ書房から上梓予定の原稿を書いていた。この日記の始まりの頃を開いたり、デイサービスからの連絡帳に目を向けたり、過去の介護生活をかなりふり返ることができた。でも、いつも苦しんできてるって感じ!!
昨夜、和ちゃんは身体を横向きで眠っていた。そして、やはり。横向きだとオシッコがパッドに直撃しないのか? パッドがずれているのか? 背中をオシッコで濡らし、布団にもチョロリ。でもなあ、オレは文句の一つも言わず全てを交換。布団も交換だから、かなり時間が必要だったけれど、オレはエライ!! 慣れもあるのだろうけれど、結構スムーズに運んだ。
もっとも、目は冴えるからその後はなかなか眠れず。和ちゃんは半分眠っている状態下での交換だから即効で再び爆睡。まあ、これでいいのだろうけれど....

★5月21日
20日の午後8時10分。和ちゃんは、ついさっき眠りに。と、書いたところで、和ちゃんが布団の中でゴソゴソとやっている。暑いのかもしれない? この季節、着るモノにも困るけれど、寝るときの毛布等の枚数にも頭を悩ませる。
で、今日、和ちゃんはデイサービス・和みのときでシッカリと昼寝をしたとのこと。あまりに珍しいことなので、職員間でどう対応したら良いのか悩んだとも。それは、昼寝から昼夜逆転に繋がることを警戒してくれたと思うのだけれど、最近、時々、昼寝をする和ちゃんになっている。アルツハイマーと関係するのか? まあ、1時間程度なら眠らせてもらうことにしよう。

★5月22日
21日の午前3時。和ちゃんがガバッと起きだした。オレはトイレから戻ったばかり。和ちゃんは1時半に尿採りパッドを替えている。400CC染みこんでいた。
「和ちゃん、オシッコか?」
すると、ウンと言う。また空打ちだろうと思いながらもトイレへ誘導。するとジョジョジョー。オマケにブーとオナラ。途端、和ちゃんの口から、
「ゴメンナサイ」
久々に和ちゃんの放尿ぶりを拝見したけれど、ゴメンナサイには驚いた。アルツハイマー病とはもう3年の付き合い。でも、未だによう分からん。

★5月23日
やはり、日曜日の一日中を和ちゃんと一緒に過ごすとかなりシンドイ。意味不明の言葉に会話を成立させなければならないわけだから。とはいえ昨日、和ちゃんは一人で正しく遊んでいてくれたので、次回上梓予定本の原稿の方もかなりはかどった。
で今朝、オレは久々に吠えた。和ちゃんが、わざわざ紙オムツを外して布団の上にオシッコをしてくれたから。尿採りパッドも紙オムツも濡れていないのに、布団とズボンと上半身に着ているモノが濡れていた。なかなか上手く紙オムツを脱いだらしく、ズボンを履いたまま紙オムツだけ下げたらしいのだ。これは参る。こんなことをされては、1000CCを吸収しようが5000CCを吸収しようが意味を為さない。布団に直撃だからファンヒーターで乾かした。
そろそろ、和ちゃんの布団を丸洗いしないとクサーーイ。

★5月24日
和ちゃんについて書こうと思っているのだけれど????
オムツ交換は当たり前になってるし、今日はない。長閑だ。
オレの禁酒は今日でキッチリ5ヶ月。エライ!!

★5月25日
今日もなんだか記すことがない。だから、デイサービス・さっちゃん家から依頼されて書いた“さっちゃん家通信”への一文を。

母の日によせて

78歳になる母(和子)が、アルツハイマー病であることを宣告されたのが約三年前です。宣告された夜から一人息子である私は、母の側に布団を敷いて寝るようになりました。
不思議でした。一緒に眠るようになり、それまであまり良好でなかった母子関係に変化が生じたのです。母の寝顔を見ながら、
“愛おしい”
そう素直に思っている私自身を発見したのですから。生を授かって以来、初めて体感する感情でした。
今、母はオムツが外せなくなりました。食事も歯磨きも一人ではできません。でも、私の愛おしい母に変わりはないのです。
とはいえ、母の日だからといって特別な予定はありません。ただ、普段どうように母のそばに寄り添って、母の発する意味不明の言葉に頷いてあげればと思っています。

野田明宏




帰宅時に、さっちゃん家の三木さんと






★5月26日
今週の月曜日、和ちゃんはデイサービス・和みのときで摘便してもらった。両手の平に盛る程度には掘ってもらったと聞いた。硬くて、トイレでカチンという音がしたとも? 絶対にありえる。
昨日、デイサービス・さっちゃん家でも3回排便したと連絡帳にあった。オムツ内に。そしてトイレで。この時にも両手の平に盛るほどにはあったとのこと。ただ、その名残が帰宅してもチロチロチョロチョロと出続けた。いつものことなので、眠ったら止まるだろうと考えていた。
ところが、今朝の午前3時。尿採りパッドを交換するとき、まだチロチロチョロチョロは続いていた。アレッ? オレは和ちゃんをトイレに誘導。ウンチングスタイルをさせた。最近は、ウンチングスタイルの姿勢が復活。オレは医療用ビニール手袋を填め、キシロカインを手袋に塗って和ちゃんの肛門の中へ人差し指を入れた。
あった。デカイのが。人差し指と親指で掴み、ヒッコ抜いた。グググッという抵抗感を感じながらも出てきた。缶コーヒーに近いほどの太さと、缶コーヒーの1.5倍ほどの長さの特大ウンコが。抜いても、そのままの形を保っている。硬いのだ。更に、もう少し掘って終了。
和ちゃんは改めて爆睡。オレはキッチリと目が覚めてしまいアウト。まあ、良しとしますか。
でもなあ。深夜に和ちゃんのウンコを掘って、最後に後片づけをして、ヤッパ情けないと思ったりもしてしまうなあ。

★5月27日
心地よい南風が吹き込んでくる。東側は網戸が破れているので時々チェックを入れる。ハチが舞い込んでくることもあるから。しかし、我が家はどこもかしこも破れかぶれだ。
昨日、和ちゃんはデイサービス・さっちゃん家で長閑に平穏に過ごした時間が長かった様子。ただ、トイレ誘導と入浴のとき、不穏というのではなく、なんだか怒ったらしい。不穏の範疇か?
オレも過去、数十回? 百回を超えているかな? 手を握っての爪立て攻撃を受けている。怒ったときの和ちゃんは恐い。顔が阿修羅モドキ。まあ、以前のように遠慮しながらデイサービスで過ごしているのではないし、これはこれで良しとしたい。デイサービス職員の皆さまに注意していただいて。
最近、和ちゃんがシッカリ眠ってくれるので、オレも身体が少し軽い。

★5月28日
現在時は27日の午後8時に少し前。暑い。和ちゃんには今、毛布一枚掛けさせている。
さてと。今夕、またまた事件。デイサービス・和みのときから帰宅し、ヨーグルトを食べさせているときだった。ヨーグルトはカルシウム補給でデイサービスから帰宅して直ぐにいつも食べさせる。ただ最近は、オレがスプーンを持って口に運ぶことが多い。
和ちゃんに食べさせていると突然、嫌がった。オレは食べるように指導。それでも食べないので再度の指導。それでも、まだ食べようとしないのでスプーンを口に押しつけるようにしたら、和ちゃんがヨーグルト本体を持ってオレの顔面に投げつけた。当たり。
切れる間などなかった。オレは和ちゃんの右腕を拳でガツン。その5分後。もう、和ちゃんの右腕手首上は膨れあがっていた。今、腫れはかなり引いたけれど、明日はモロに紫色に変色しているはずだ。
オレが悪い。しかし、ヨーグルトをぶつけられてまで我慢できない。お叱りを受けるならそれも良い。これが、野田母子の進む道だ。と、そんな気もしてきている今日この頃だ。
そうは言いながらも、サロンパスのスプレーを噴霧。やっていることは誠にアホらしい。そして、あまりにも情けない。

★5月29日
28日の午後8時20分。まだ、空気が生暖かい。和ちゃんは眠りに。
しかし、やはり右手首上は腫れが激しい。痛い、とは言わないけれど、かなり痛々しい。明日は今日以上に腫れるはず。後の祭り。
明日、29日は日曜日。一日、長いナガーーイ一日になる。



こういうTシャツを着せてオレが楽しむ


真正面から
なんだか凛々しいような?


★5月30日
今、オレはかなり疲れているような? ただ、昨夜は和ちゃんの眠りも深く、オレもかなり眠れたので書き記せるときに書き残しておきたいと思いパソコンに向かっている。
ただ今、日記アップは休止中。
というのも、和ちゃんが29日になった午前1時頃のオムツ交換中、後方に直立状態で転倒(この夜は布団の上で交換していた。普段は、畳の上に誘導し、柱をつかみにして立たせながら交換している)し後頭部を低い棚の角で強く打った。その瞬時、ポタポタと赤いというか? 少し黒みがかった血がしたたり落ち始めた。頭の出血はスゴイと知ってはいたけれど見るのは初めて。次第にポタポタからドクドクになっていくような様子。
オレはタオルで傷口、傷口といってもどこに傷口があるのか分からなかった。和ちゃんの髪の毛で。で、その傷口を最初はタオルで押さえていたのだけれど、尿採りパッドに交換。この頃から出血もジワジワになり始めだしたのだけれど、オレは完璧にパニック。
「和ちゃん、イテーか?」
「あのなあ、ムニャムニャ無にゃ....」
会話にならない。
正に、“今、ここにある危機”。
オレは考えた。病院。といっても日曜日になったばかりの深夜。とはいえ、そのまま放置しておくわけにもいかない。そういえば、貴美子は、携帯をいつも側に置いて寝るから、と言っていてくれた。ただ、看護師の勤務形態は複雑。貴美子の5月勤務予定表を見る。休日。即、携帯へ。2回掛けるも出ない。オレは途方に暮れる。そして、無力感。少し涙がでてきた。どうすることもできない。ただ、和ちゃんに痛がっている様子がない。
5分ほどして、貴美子からオレの携帯へ。説明する。15分ほどして貴美子が来る。傷口を見る。そして、近所にある病院へ電話を入れる。
「救急の今夜の当直は内科の先生じゃからダメじゃ」
直ぐに別の病院へ携帯で連絡。貴美子が勤務する病院なのが分かる。我が家から約15キロ。深夜は車が少ないとはいえ、かなりの時間は必要になるけれど、ここは貴美子に頼るしか手がない。貴美子の車で病院へ向かう。和ちゃんはドライブを楽しんでるかのようだ。和ちゃんの頭は尿採りパッドがタオルで巻かれている。氷の固まりも入れて。
岡山中央病院ER。
他に急患はおらず、和ちゃんと貴美子は当直看護師さんと談笑している。貴美子の知り合いなのだろう。オレは疲れてしまい、ソファーに横になった。結局、4針を縫う結果に。しかし、ここには書ききれないけれど、オレ自身の無力をシミジミと痛感させられた夜だった。
アルツハイマー病在宅介護。一人ではあまりにも過酷であり、無理だ。
とりあえず、今、書ききれることだけ書いておく。

★5月31日
昨夜の和ちゃんは、眠りが深くもなく浅くもなくという感じだった。ということは、オシッコを出すと起き出す。ハッキリとはオレも理解できないのだけれど、そんな様子。シッカリ起こされた。
で、今朝6時。尿採りパッドにウンチがチョロリ。いざ摘便。
慌ててビニール手袋を填めたので中指が破れる。キシロカインを塗ってそのまま掘る。かなり出たけれど、また近々にはチョロリと来そうだ。まあ、その時に考えよう。
もう、なんでもありだけれど、摘便を続けるということはウンチが勝手に放出されないのだから弄便はないのだろうな?
今日、ダイエー岡山店で和ちゃんの半袖ブラウスのようなものを買った。可愛いピンク。

★6月1日
今日、和ちゃん担当ケアマネジャーの長谷川さんが来訪。少々込み入った話をする。長谷川さんの事務所は我が家から12キロほどあり、もしかすると来られなくなるかもしれない、との事前相談。確かに、甘えすぎていたかもしれない。そういうことになれば、長谷川さんの心赴くままにさせてあげたい。
さて、昨日で中国新聞連載も無事終了。反響メールがかなり届いているとかで、来週火曜日に“連載を終えて”ということで記事になるとのこと。
そして、京都のミネルヴァ書房からの上梓予定本も、なんとか8月中には出版予定で進んでいるとの吉報。ありがたいことだ。
更にそして、来週8日〜9日にかけて、東京から介護雑誌編集長直々に和ちゃんを取材に来る。記事はオレが書くことになると思うけれど、なんだか慌ただしくなってきた。

★6月2日
今振り返ると、和ちゃんは結局、4針縫ったにもかかわらず痛み止めの薬を一錠しか飲まなかった。だいたい、血が噴き出したときから痛みを訴えなかった。どうなんだろう? まあ、貴美子の見立てでは傷口は予定通りに良くなっているとのこと。貴美子には本当に感謝。
しかし、なんだか今日はヒンヤリ。和ちゃんの体調管理には頭が痛い。






★6月3日
今朝は早々に尿採りパッド内に卵一回り大きくしたウンコの硬いのが一個。そして摘便。
もう、こんなことが日常になってしまって、特別な一日ではなくなってしまった。そんな最中、和ちゃんに爪立て攻撃を受ける。オレの右手首に横1センチのキズ。ヤレヤレですわホンマ!!

★6月4日
朝一で貴美子が運転する車で岡山中央病院へ。
無事、抜糸完了。
ホッ!!



貴美子と和ちゃん


抜糸、無事完了


★6月5日
和ちゃん。今朝、また後方転倒。オレが気温確認のためパソコンで天気予報を覗いているわずか20秒の隙に。
♪ドチャーン♪
和ちゃんの後頭部から出血。前回より出血はかなり少なかったのでイソジンを塗って終わり。と思いきや、なかなか出血が止まらずまた岡山中央病院へ。そして3針を縫う。昨日、抜糸したばかりなのに。
どんな状況で倒れたのか見ていないので分からない。ただ、もうかなり足腰にきている様子。タクシー代金が往復約9000円。今日はCTも撮ったから治療代が約2000円。計11000円。参る。
出発前に一騒動。和ちゃんがウンコをぶら下げている。摘便。これで二汗。更に、和ちゃんが着替えようとしない。そして爪立て攻撃。
書くのヤーメタ。
猛烈に疲れている。アルツハイマーとの戦に一安心はないのですね。
最後に一言。実名を出すと迷惑かもしれないので。救急外来の看護師Iさん。先日も今日も、大変に優しくしていただきありがとうございました。

★6月6日
今朝、起床前に和ちゃんの布団の中に潜り30分。和ちゃんの手を握る。和ちゃんはその30分、泣いていた。
なんとか、オレの側で守ってやりたい。

★6月7日
♪ビッイーー♪
和ちゃんが肛門から発した音。夕食を終えたばかりの昨日。
和ちゃんを立たせ尿採りパッドを覗く。ヒエー!! 下痢便まみれ。オレは和ちゃんをとりあえずトイレ誘導。ここで全てを交換したかった。新聞紙を取りに行く。
♪ガタン♪
わずか10秒。和ちゃんがトイレないで横転している。その側には新たに大量の下利便てんこ盛り。流れてもいる。瞬時、オレは発狂寸前。和ちゃんはトイレ内でスッポンポンになっているも、足の裏、手の平はウンチまみれ。
一つ一つを書いていくと書ききれない。とにかく、全てを完了させるまでに1時間。
神は我に、スコブルシビレル試練を与えてくれるではないか。
まだ、新たなヘルペスは発症していないけれど、アルツハイマーとのタイマン勝負は不可能だ。

★6月9日
超多忙につき、日記が書けない。

★6月11日
現在時は10時41分。7時半に家を出て岡山中央病院へ従姉妹の貴美子が運転する車で。貴美子には心から感謝。抜糸を無事済ませデイサービス・さっちゃん家へ送り、今、カフェラテを飲みながらパソコンの前へ。ハーーーア。疲れた。
書くことは山ほどあるけどなあ!
とりあえず、今朝、抜糸してくれた医師からは、和ちゃんにラグビー選手がするようなヘッドギアを装着した方がいいんじゃないか? と勧められる。オレも同感。頭のカバーを至急になんとかしなければ。絶対にまた繰り返す。オレが眠っているときに起きだし歩くこともあるのだから。更に、前に落ちることもありえるし。考え想像すると、なんだかオレの目がくらむ。
さて、日本医療企画が発行する介護雑誌・“介護の学校”からの取材はなかなか面白かった。これで、オレが本当に我が家をオープンにしていることが証明される。取材に来てくれた秋山編集長には感謝。
これを読んでいただいている皆さん、この日記のトップに張ったリンク・“介護の学校”へアクセスしましょう。そして、気が向いたら本屋さんへヨロシクね。まだ、オレは書いてないけれど。



このページのTOPへgo!!
一歩から2へ