9月19日〜10月10日
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★9月19日
やはり“アルツハイマー”という言葉も途切れ途切れだ。まあ、そりゃあそうだろう。しかし、自分で出来ないことが多くなったことに苛立ちを覚え、
「私の病気、なんじゃったかなあ?」
「アルツハイマー」
「そうそう、アルツハイマー。やっかいな病気じゃなあ」
こんな会話を今朝したばかりだ。
今朝、和ちゃんが排尿後、血圧を測ると152−92。10分程して測ると132−76。血圧というのは変動が激しい。
そして今、午前8時半。8時20分にいつも通りに鹿村さんのお迎えで元気にデイサービスに向かった。本当は行きたくない、とのこと。
ただ、靴下に穴があいてないかしっかり確認していた。いいことだ。

★9月20日
昨日朝は少々冷えた。デイサービスに行く日だったのだけれど、秋モノの服というのが何処にあるのか判らない。和ちゃんの頭脳では検索不可能。可能ではあるけど、片っ端から段ボール箱もひっくりかえさなければならず、これは困る。
で、オレが中学時代に体操服で使用していたジャージを上に羽織って出陣してもらった。このジャージ、和ちゃんがリサイクルしたものだけれど、彼女にその記憶はない。
とはいえ、デイサービスに行くのに、そこそこのモノは着させたいと考えるのは息子としての義務? 責任? 情?
 とにかくダイエーに行って婦人服売場へ向かった。最近、あちこちの婦人専門売場へ顔を出すのだけれど、まあ、それなりに慣れた。そして、680円のバーゲン品を買った。
さすがに、まだ和ちゃんのパンツは購入できないでいるけれど。和ちゃんのパンツを買った日、これは、オレのメモリアルデーになるはずだ。正直、まだまだ恥ずかしい。オムツなんかは、平気で持ち歩きできるのに。
昨夜、和ちゃんはデイサービスの疲れか? 午後8時にはウトウト。洗髪もしたし、気分が落ち着いたのかもしれない。和ちゃんの寝顔を見ていると、できるだけ側で見守ってやりたいと思う。
しかし、この人は本当に熟睡できる人だ。眠りの浅いオレには心底から羨ましい。これだけ眠ると、悩みも翌日には持ち越しそうにない。もっとも、和ちゃんは和ちゃんなりに、起床とほぼ同時に新たな悩みを抱えている? 大変だ!! それを聞かされるオレも大変だけれど、時空間が混乱してしまっているのでお手上げ。
今朝メールを開くと、新聞拝見とのことで、ある県会議員氏から着信あり。その方の義母もアルツハイマー初期とのことであった。
皆さん、踏ん張りましょう!!

★9月21日
今、和ちゃんがデイサービスに出かける前の午前8時前に書いている。しかし、この日記を連日書くというのも結構キツイ。まあ、いずれ大きく中抜けするようになると思う。
昨日昼前、和ちゃんと散歩に出た。我が家から600メートル? 先にあるコンビニまでお買い物。特別必要なモノはなかったのだけれど、シャンプーとおにぎりを買って帰った。
和ちゃんにオレの背負いバックを背負ってもらう。背中イッパイになるほどのバックを担いでいる和ちゃんが可愛い。和ちゃんに言わせると、
「背負っとる方が背筋がシャンとしてええなあ!」
とのこと。オレはカメラのシャッターを切る。
昨夜はどういうわけか? 疲れに決まっているのだけれど、午後8時にオレは和ちゃんの側で眠ってしまった。
今朝起床時、
「和ちゃん、よお眠れたか?」
「なんか眠れんかったなあ。私も天真爛漫じゃないからなあ。いろいろあるんよ」
悩みが尽きることはないらしい。
今、和ちゃんがデイサービスに向かうために着替えてきた。しっかりできている。
その和ちゃんがオレの顔を見ながら泣けることを言った。
「明宏君の顔をしっかりと見てから行かんとなあ!」
“明宏”はオレの名前だけど、息子のオレを指しているのではない。和ちゃんからすれば、サポーターとしての“明宏”がお気に入りなのだ。
ややっこしいのだが..

★9月22日
昨日、デイサービスからの報告(倶楽部での御様子)
「午前中は折り紙やモップ作りをされました。午後からはお月見茶会で、抹茶を頂かれました。お月様の色紙にご自分で一句書かれました。昼食はトンカツと南爪と切りこぶの煮物と冷奴でしたが全て食べられました」
いつも、きめ細かく報告してくれる。そして、帰宅途中に車から下りて“すすき”を採ってきてくれたのことで、花瓶にすすきを挿した。めずらしく、
「今日は、ものすごう面白かったんよ!」
と笑顔イッパイ。
とはいえ帰宅早々、花瓶に挿す前にオレに質問。
「今日、家に泥棒が入ったゆうて聞かされたんじゃけど、どんなん?」
やれやれ。
「何を言よんなら。今日はワシは疲れて一日中、家におったがな」
やっと納得。少し目線を変えると興味深いんだけれど。
昨夜、というより、昨夕7時に和ちゃんは眠りに入った。あまりにも早すぎるので1時間程度デイサービスの話しを聞く。意味不明の説明が多いのだが、とにかく忍耐だ。オレも8時半には眠りに入った。和ちゃんのリズムに合わせるのは大変だけれど、寝顔を見ていると許せる。
21日の夜、あまり眠れなかったということと、デイサービスに行ったことで疲れているのだろう。とにかく、夜眠ってくれればありがたい。
そして今朝、ウンコのいいのが2本出たとの報告。自己申告する和ちゃんは、敬礼をしている。
時々、この人はまだまだ正常なんでは? と錯覚させられる。直ぐに、錯覚だったことを再認識もさせてくれるのだけれど。
ところで今日、オレも子供の頃に利用したことのある軽便鉄道の写真展を見学しに午前10時前に家を出た。軽便鉄道というは、西大寺〜後楽園を結んでいたのだけれど、今はもちろん化石。
廃線になって何年になるのか承知してないのだが、和ちゃんが戦時中に挺身隊として軍関係の工場があった水島へ、この軽便鉄道を利用して通っていたと以前聞いていたので行こうと決めていた。和ちゃんは財田(さいでん)という駅でアメリカ軍機の機銃掃射を受けており、この話しも度々聞かされていたのでオレも見たくて和ちゃんを誘った。
しかし、和ちゃんが写真展会場あと一歩の距離で転んだ。特別な段差のない所だったのだけれど、膝を打っている。出血も少々。直ぐにオレの“唾”をつけて廻れ右。和ちゃんは、
「こんなん“唾”つけときゃあ治るから行こうやあ」
と言うのだが、とりあえず早急に消毒したかった。
手を繋いでいなかったことが悔やまれる。
この計画は、1ヶ月前から“涼しくなったら行こう”と計画していただけに残念。
帰宅途中、“彼岸花”を摘む。それを、和ちゃんは昨日すすきを挿した花瓶に加えた。
花を生けている和ちゃんは生き生きとしている。
本当は、花を連日でも買ってきてやりたいのだけれど、いかんせん高い!!

★9月23日
今、午前9時10分。40分程、和ちゃんと一緒に掃除をした。オレが掃除機でゴミを吸い取り、和ちゃんは座布団を上げたり下げたり。正直、一人でやってしまった方が効率的ではあるのだけれど、“和ちゃんと一緒にやる”ということが主旨だから効率はどうでもいい。
しかしなあ、40分も掃除機をかけたのは何年振りかなあ? オレだけだったら掃除なんかするわけがないし。オレの部屋は、もう掃除をする気も起こらないほど汚い。
つまり、今日の掃除は和ちゃんとのコミニュケーション。オレもいろいろ気は使うが、オレと一緒に、タオルを姉さんかぶりして手伝っている和ちゃんの表情がいい。
ところで今朝、和ちゃんが驚くようなことを言う。
「昨日、胸のへんがおかしゅうなって、深呼吸を3回したら治ったんじゃけど、あんなのは初めてじゃなあ」
「そういうことは直ぐに報告せんといけんがな? せえで、何時ごろになったんなら?」
「昼前かなあ? アルマじゃから、どう説明してえんか分からんなあ?」
「そりゃあアルツハイマーじゃろうが。昨日、散歩した後か?」
「お腹がすいとったから、そうかなあ?」
確かに昨日は、途中挫折したものの最近では最長距離の往復で2キロ程を歩いている。降圧剤を飲んでいるのも動脈硬化の兆候があるからで、心臓に負担があったのかもしれない。
和ちゃんの説明に意味不明なところが多く判断しにくいのだけれど、痛いというのではなかったらしい。チクチクとか押さえつけられる痛みは無かったと言うから。
とはいえ、和ちゃんの場合は時空間の認識も定かでないし、表現力も著しく乏しいからどこまでが真実か判らない。ただ、2キロの距離は長すぎたと思う。反省。
でも、よく食べ、よく眠り、快便らしいのだけれど?

★9月24日
昨日、思っていた。
「和ちゃん、明日はデイサービスか! 踏ん張ろう」
やはり、デイサービスに期待している自分がいる。まだまだ利用し始めて10回にも満たないのだけれど、とりあえず少しの時間でも休息が確定しているのはありがたい。
和ちゃんは一人では生きられない。とにかく年金生活者であることも忘れてしまっているのだから、
「わたしゃ一銭も持たせてもらえんのじゃからなあ」
が口癖。オレが金銭面から全てをサポートしていると信じきっている。一人息子には期待できないそうだ。笑えそうで笑えない現実。

デイサービス一日の負担

サービス費 766円
送迎代往復  88円
  昼食費 400円
   合計1254円

となっている。要介護2の判定だったからサービス費は766円。介護度が1上がって要介護3になっていたら1028円に跳ね上がっていた。もちろんサービス利用幅も増えるわけなのだが、サービスを利用すればするほど利用料もアップし、一割負担といえどもシンドイ。我が家のような、借家暮らしの貧民には特に!!
今朝、大きいウンコが2個と小さいのが3個出たとの報告。なかなか調子が良さそうだ。
デイサービスに出る前に少し時間があったので、オレの布団に二人で寝ころんで手を繋いで話す。今朝はなんと、“ほうれんそう”も含めて野菜の名前が5個言えた。自分でも不思議なのだけれど、嬉しくなる。もっとも、果物は0点だったけれど。
そして、和ちゃんは普段通りに元気に出発。今朝はまたまた冷えたので、初めてジャージのズボンを着用。嫌がるかな? と思ったけれど、オレの指示になら従うとのこと。昔の和ちゃんだぅたら、
「風が悪いは」
の一言ぐらいありそうなものだが、なにやら寂しい気もする。
さて、オレも今日は、午前中から活動するかな。

★9月25日
昨日ビックリ!! 針時計が読めた。
4時35分が理解できた。更には、5時10分を時計の針が指した時、
「5時半までは、あと何分?」
「20分じゃろうか?」
なにか、こんな回答にすごく嬉しくなっているオレがいる。
さて今日、西大寺観音院まで散歩した。昼前に約1時間、のんびり歩いた。家からは往復約2キロ弱? しかし、坂もいくつかあり、22日よりはキツイ。とはいえ、和ちゃんは闊歩する。体調は良さそうだ。相変わらず、ウンコの報告もあるし。
午後2時、HHK岡山ディレクター・井坂さん来訪。オレと和ちゃんを午後夕方のニュースでとりあげさせてもらえれば? とのこと。上司の判断もあるので、企画を上げてOKなら正式に事を運びたいとも。井坂さん自身は、やる気満々に見える。
山陽新聞を見ての来訪だが、なかなかの好青年だ。これは勝手なオレの思い込みかもしれないけれど、話しが合う。
井坂さんは3時間滞在。和ちゃんとも会話? なかなか上手く和ちゃんと会話する。和ちゃんは気合いを入れて、なぜアルツハイマーになったかを力説。例のごとく、黒装束の人間と会話したからこんなになったと報告。毎回毎回、少しずつ脚色してるみたいだけれど? まあ、大筋では一貫している。
井坂さんとは、“和ちゃんと一緒に”のホームページ作成に一段落ついたところで連絡することで一致。
夕食後、和ちゃんの入れ歯を磨く。ところが、和ちゃんは入れ歯のはめ方が分からなくなった。何度か挑戦の後はまったので、ゆっくりそのまま口から外させ、その位置・向きをデジカメで撮影。上下に入れてあるので、オレもしっかり把握しておかないと。やれやれだ。

★9月26日
「今日は、なんか気分よう行けるわあ!」
和ちゃんは、こんな言葉を残して元気いっぱいデイサービスに出かけた。
しかし、オレは疲れた。基本的に、和ちゃんはデイサービスには行きたくない。行きたくないけれど、オレのお願いを聞いてくれている。というのが現状。
となると、なんとか気分良く出発してもらいたいのが人情。とはいえ、朝食後あれやこれやの一段落後、デイサービス出陣まで1時間少々の隙間ができる。この隙間を、なんとか気分爽快にさせるため、オレは忍耐と努力の人となる。和ちゃんの意味不明の話しから、何十回と聞かされている話に耳を傾け、相づちを打ち、そこそこの応答をしなければならない。
はーあ。シンドイ。
シンドイけど、ごねられるよりはいい。
今日はこれでお終い。

★9月27日
和ちゃんがアルツハイマーと診断された頃、オレは“介護職の戦”というテーマで介護を職業とする人たちを追っていた。今、このルポは挫折中なのだけれど、冒頭の“はじめに”の箇所に以下のような文章を書いている。少し長くなるのだけれど、引っ張ってくる。

はじめに

平成12年11月中旬だった。ある取材を済ませ、74歳の母が一人待つ我が家に帰宅したのが午後8時頃だった。私は母と二人暮らし。
「帰りました」
「お帰りなさい」
のやりとりをする間もなく、母が私を見て開口一番
「あんたに電話があったよ!!」
と少々興奮気味に言った。そして、嬉しそうにその電話の内容を語り始めた。
電話の主を仮にAさんとする。私が不在だったため、Aさんは母に、私へ伝言を依頼するかのように喋り・語ったのではないだろうか? もちろんAさんは、礼を欠くことなく自身の住所(地域)・氏名を母に名乗っている。ただし、年齢については50歳ぐらいとの母の想像だ。
で、電話内容の趣旨だが、Aさんが介護されていたお父さんが最近亡くなられたとのこと。介護の期間が数年間続いていたいたとのこと。そして、私が6年前に初めて上梓した“男が、病院で介護するということ”に慰められ、いかに勇気づけられたかということ。これらの事を涙まじりの声で母に語り、最後に
「息子さんに『ありがとうございました』とお伝えください」
との言葉で締めくくられた、との母からの報告だった。
嬉しかった。本当に嬉しかった。この本はもう絶版になってしまっているのだが、私の書いた本で、介護に前向きになってくれた人が確実に一人いてくれたということが!!
ライター名利につきる。
“存在感の希薄”などという表現も一般化しているこの時代、一人コツコツと介護現場に脚を向ける私自身が、存在感を認識・把握することができる数少ない出来事だった。こちらこそ、
「読んでいただいて、ありがとうございました」
と声を大にして返礼したい。
老人介護を取材しようとする時、費用対効果の悪さには悩まされる。というのも介護のご苦労を介護者から、プライバシーの奥の奥まで語ってもらうためには、まずは私を信頼してもらうことから始めなければならない。取材前に2度・3度は脚を運んでおく必要もしばしばだ。これが1日仕事になってしまう。
が、この1日、金銭的に生まれるものはない。経済的には本当に恵まれないのだ。フリーライターが“不利ライター”と称されるのも頷ける。
とはいえ、老人介護の現場は半端なものではない。家庭での介護にしろ、施設での介護にしろ。その現場では虐待も横行する。そう言う私自身も虐待者なのだから。だから、書く。私に介護される父に手を上げて、自己嫌悪から涙したことを忘れないためにも書き続けていく。そう決心している。
しかし、一人で取材し一人で書く繰り返し。寂しくなったり、
「こんな生活でいいのだろうか?」
と悩んだり。そんな時、先の励まし・感謝の言葉が、沈む私の心を支えてくれる。
「ヨッシャ!!」と。

実は、このAさんと赤穂線車中で偶然に出会った。もっとも、オレは彼女を知らない。彼女もオレの顔までは知らなかったはずだけれど、先日の新聞を見て声を掛けてくれた。あまり、どこにでもある顔ではないのが幸いか?
和ちゃんの様子を知りビックリしていること。そして、電話した時には、泣いて励ましてくれたとのこと。そして、お大事に、と声を掛けてくれた。
本当に、オレの書いた本で励まされたとも言ってくれ、改めてライターをしていてよかったと思い、身体の疲れまでは吹っ飛ばないまでも、心は晴れやかになった。
疲れている。でも、踏ん張れるかもしれない?

★9月28日
タカシから電話があった。タカシと話をするのは、もう1年半ぶりぐらいか? 田町のスナックで飲んで以来だから。タカシとは幼稚園からの付き合いで、今はある金融機関の支店長を任されている。やはり、新聞を見て驚いての電話だった。
「外で一杯やりてえところじゃけど、おえんのお?」
「おお。今はお袋最優先じゃからのお。せえに、オメーも知っとるみてえに親不孝の固まりじゃったからワシ」
「言えとる、言えとる。オメーはかなりの親不孝モンじゃあ」
「今度、ワシの家へ寄ってくれえ」
「ほんなら、そうすらあ」
和ちゃんがタカシを覚えているか? 和ちゃんが稟として働いていた頃、和ちゃんは度々オレにこう言った。
「タカちゃんみたいにしっかりせられえ!」
タカシがまだ若く外回りをしている頃、和ちゃんの働いている会社にも出入りしており、和ちゃんが会社の会計を担当していたことから親しさが増していたのだ。
来る者は拒まず。和ちゃんの面白い? 話を聞いてもらおう。
で、大阪の順さんに手紙を書いた。和ちゃんとのホームページに使用する和ちゃんの似顔絵を描いてもらうために。順さんは美大出身の自由業。
内容はといえば、まあいいか公開しても?

順さんへ
先日は電話をいただいたのに失礼しました。それから、この文面が手書きでないことも申し訳ありません。
でも順さん、そろそろ文明の利器も有効活用しましょうよ。
さて、お母さんの具合いかがですか? 先日の電話の様子だとかなり厳しそうですね。言葉が見つかりませんが、どう言えばいいのかな?
 お母さんが穏やかであることを祈っています。
で、私の現状ですが、同封の新聞記事のままです。記事どうり私と母の日記をホームページにアップすることになりました。公開日記ですね。
いろいろ構想はあるのですが、順さん、母の似顔絵を私の時同様に描いてもらえませんか? おカネはありませんので払えませんが、ボランティア・中津順とだけは似顔絵の下に入れさせてもらいます。無理なら無視してください。
同封の笑っているのを、漫画チック、つまり私の時同様に描いてもらえれば幸いです。私の似顔絵付き名刺、好評です。
まあ、こんなところですか。
奥様とは上手くやってますか? 周囲の人たちとも諍いを起こしてませんか?
なにやら説教ですね、これは。
でも、そんな順さんのままでいて欲しいですね。
私は相変わらずですよ。
では、吉報を待ってます。
野田明宏

順さんも今、要介護5のお母さんの介護をやっている。下の世話からなんでもやってしまう。もちろん奥さんもいるけど、この人は亡きお父さんの介護も率先してやっていた強者。
“自分らしく生きる”がポリシーで、奥さんに言わせると“わがまま”に生きているとか。昨晩電話(順さんは、デジタル関係は全くダメ。メールが送れない。人間も、モロにアナログ)したら、京都に飲みに行っていた。
「少しは気晴らしさせないと」
奥さんの優しい言葉が羨ましい。
オレは一人で戦わなければならないのだから。

★9月29日
やはり和ちゃんを怒ってしまう。怒らないと、切れてしまうのではないか?
難しいのだけれど、少しずつ小規模的に噴火していた方が、大噴火しないのではと思ったりもする今日このごろ。あまりにも勝手すぎるかな?
昨夜、和ちゃんの背中からお尻。そして脚の裏側を磨き。胸とかお腹周り、そして腕は自分で洗うように言って風呂から出た。元来、カラスの行水のような風呂の入り方をしていた和ちゃんだから、今はスコブル早い。後背部だけでなく、前部もオレが洗ってやらないと、横着をしてしまう。まあ、それはそれでいい。
ところが、それを確認に行くと、湯船の中で石鹸の付いたタオルで身体をゴシゴシやっている。アメリカナイズしたやり方ではOKかもしれないけれど、これは許せない。思わず、
「アホウ!! なんしょんなら? なんぼアルツハイマーでも、やってええ事わりい事があるでコリャー!! このクソアホウ」
大声で怒鳴ってしまった。
「スミマセン」
和ちゃんは謝るのだけれど、なんで叱られているのか分からないでいる。そして、結局は泣く。泣かれると、オレの心は痛む。痛むのだけれど、解決方法がない。説明しても、理解できないのだから。
数分後、和ちゃんはオレの手を触ってくる。ニコニコしながら。
「なんなら和ちゃん? 叱られたばあじゃろうが」
「いつもその後、優しゅうしてくれるが」
切なくも、愛おしい。

★9月30日
昨日の朝、町内の草刈りに出て腰が痛い。たいしたことをしたわけでもないのに、年齢か?
しばらくして、和ちゃんと散歩にでた。散歩といっても、この22日に行こうとしていて和ちゃんがスッテンコロリン。そこで廻れ右してたどり着けなかった、軽便鉄道の写真展に行ってきた。
距離的には、その写真展を見てからも大回りをして帰宅したから、もしかすると3キロ弱は歩いているかもしれない。これなら赤穂線に乗って、岡山にも出られるような気がしてきた。足腰はまだまだ強そうだ。
昨夜、和ちゃんの洗髪をした。洗髪後、洗濯をしたのだけれど、終了後、洗ったはずの和ちゃんのパンツが洗濯機の中にない。
しかし、オレは慌てない。だいたい想像ができた。オレは和ちゃんに問うた。
「和ちゃん、ズボンを下ろしてパンツ見せてくれる?」
「ええよ。せえでもなんで?」
やはりそうだった。和ちゃんは、洗濯しなければならないパンツと洗濯してあるパンツ2枚を着けていた。
二人で、オモイッキリ笑った。
笑えるようになったオレは、少しは成長しているのだろうか?

★10月1日
いよいよ10月。とはいっても、まだまだ蒸し暑く感じる。ただ、朝夕は涼しくなったので、暑くて眠れないということはない。和ちゃんも夜、迷歩しないでトイレに直行してくれるし。
ところで、和ちゃんの今日の心配事はこうだった。
「お願いがあるんじゃけど? あのなあ、私が死んだあと、あんた(オレ)もいつか死ぬじゃろ。そしたら私のお墓に入ってくれん? あんたのお母さんには悪いけど、あんたと一緒におりたいんじゃあ」
不思議? ということではないけれど、和ちゃんが今のようになる前は母子でありながら距離感がかなりあった。和ちゃんは自尊心が強かったし、オレはその自尊心が好きではなかった。稟としている和ちゃんは甘えたことを言う女性ではなかった。
40年間、働いて働きぬいてきているから芯は強かった。その和ちゃんが泣きながら懇願する。
「それでも和ちゃん。それは和ちゃんの息子に言わんと? ワシと和ちゃんは他人なわけじゃろ。そしたら、他人は野田家の墓には入れんよ」
「息子? あの子もええ子なんじゃけど、あてにできんし、今はあんたが一番好きなんじゃ」
「そしたら、和ちゃんのご主人にはどう説明するん? ご主人とワシと一緒?」
「死んだら、そんなこと分からんらしいよ」
「ということは、和ちゃんが死んだら、ワシのことも分からんようになるわけじゃなあ?」
「ウーーン?? 難しいことは分かりません」
和ちゃんが“お袋”であった頃から、こんな会話ができていればと....。
後悔先に立たず、か?

★10月2日
今、午前11時。和ちゃんとコープへ買い物に行って、帰ってきたばかり。和ちゃんにとってコープは本当に久々だった。
顔見知りのレジの女性と会話をしたりもする。
「今日は。またお世話になります」
「おひさしぶりです。今日は顔色がいいですね!」
レジで支払いをしたあと、和ちゃんに聞く。
「和ちゃん。覚えとん?」
「そりゃあ覚えとらあ。コープができた頃からおる人じゃが」
コープ内でコーヒーを飲んでの帰路、大蔵省印刷局にはためく日の丸の旗を見つけ、和ちゃんは“日の丸の歌?”を口ずさむ。
♪♪白地に赤く日の丸染めて、ああ美しや日本の旗は♪♪
和ちゃんが楽しそうに口ずさむ声を聞きながら、やはり後悔と反省。
「もっと早うから、こんな風に一緒に買い物に来るんじゃった」

★10月3日
昨晩、和ちゃんと一緒にテレビを観ているとき、和ちゃんがドキッとするようなことを言った。
「あのなあ、心配で心配で仕方ないことがあるんじゃけど、“あんたの子、生んだぎょ?”」
ビックリ!!
「いらん世話するな。自分の世話もできんくせに。ワシが自分で生むからええわ」
「せえでもあんた、赤ちゃん出るところないでしょ?」
そして、二人して大笑いした。
とはいえ、和ちゃんは、本当にアルツハイマーの中期以降なのだろうか? 息子としての欲目もあるのだろうけど、最近、オレもなるべく優しくしようと心掛けているせいもあってか和ちゃんに笑顔が多い。今朝もデイサービスに元気よく出発した。
まあ、確かにトンチンカンなことも多いけど、以前より症状が良くなったように見えて仕方ない。暗い表情が少なくなった。
そりゃあ、“あんたの子を産む”というのは痛烈なパンチだったけれど。

★10月4日
岡山の天満屋まで出掛けてきた。もちろん和ちゃんと。
まずは1キロと少々を歩き西大寺バスステーションまで。西大寺から天満屋までバスで約30分。天満屋地下で昼食はうどん。そしてアリスの広場へ。
アリスの広場で、カメラマンの蜂谷さんと合流。この日記のトップフォトとなる写真を撮ってもらう。和ちゃんは、蜂谷さんのことは記憶になかった。
しかし、いい写真ができあがっていると確信する。
トップフォトでは喫茶店にも入り撮影。和ちゃんに、あまり恥ずかしさはない。
そうそう。天満屋に着いて和ちゃんがオシッコをしたくなり、男子トイレに連れて入りしてもらった。女子トイレに一人で入ると混乱するに違いないし、オレも同伴はできない。なかなか、こういう事がアルツハイマーの和ちゃんを連れ出すとき、問題になりそうだ。
帰路は全く逆。ただ、両備プラッツで夕食の総菜等を買って帰った。
とはいうものの、和ちゃんの体力はかなりのものだ。電車での遠出も現実的になってきた。
足腰は、まだまだ強い。

★10月5日
昨晩はよく眠れた。和ちゃんも疲れたのか、トイレの回数も少なく、二人揃って8時半から床に就いた。
今朝、デイサービスに行くのを少々嫌がった。行きたくないのは承知しているけど、頑張って行ってもらわないとオレが参る。疲れていると介護はできない。できたとしても、優しさは伴えないはずだ。
今行っている“ゆう倶楽部長浜”で適応できないなら、どこに行ってもダメだと思う。なんとか、和ちゃんにも踏ん張って欲しい。
今朝出発する前、上着を着てシャツをその上に着ていた。まだまだ笑って済ませることができるけど、やはり少しずつ進行しているのだろうか?
あまり先のことまで考えなくていいか?

★10月6日
今、午前7時5分前。和ちゃんが、和ちゃんなりに朝食の後かたずけをしている。
さて、昨夜やっと、和ちゃんがお世話になっている“ゆう倶楽部長浜”のホームページを検索できた。で、こんなメールを送信した。

ゆう倶楽部長浜さま

お世話になっています。野田和子の息子です。
やっと、このサイトにたどりつきました。
さて、火曜の午前中、鹿村さんの車の後ろについて、友人のカメラマンと伺わせていただきますがヨロシクお願いいたします。
ホームページを見た限り、長閑な印象を強く感じました。私も、取材等で数多くの施設を見学してきましたが、要介護者は豪華な設備より、優しい人たちとの触れあいを求めていると確信にいたりました。
すごく難しいことですが。
母は帰宅して、少々ブツブツ不満を言ったりもしますが、今後もヨロシクご指導お願いいたします。元来、自分の心の内を見せず、人間関係に距離感を置く母でしたから、私もデイサービス利用に不安を感じていたのですが、なんとか落ちこぼれずやっていけているようです。
私も本当に助かっており、ありがとうございます。
では火曜日、お邪魔させていただきます。
野田明宏

ということで、そろそろ和ちゃんに歯磨きをしてもらおっと!!

★10月7日
早い!! 10月に入って、もう1週間が経過した。そしてなにやら、秋めくのも高速な気がしてならない。なんかちょっと、気が滅入る。
膝が痛い。
理由はほぼ断定できる。狭い風呂の中で、和ちゃんの洗髪をしたりすることで、無理な膝の使い方をしているせいだ。動きがとれないので、どうしても膝で身体を回転させてしまう。
身体はだるいし、膝は痛いし。
もっと若かったらとも思うが、若かったら、和ちゃんの世話にスコブル抵抗があるに違いないし。
ちょっと弱気か? 秋深まるせいかな?

★10月8日
昨日、オレを見た途端、和ちゃんが突然泣き出した。
「どしたんなら? 誰かに叱られたんか?」
首を振るだけでなにも言わない。“誰か”とは、オレを含め、和ちゃんには数人がこの家を出入りしていると思っているから。現実は、怒るのも、誉めるのも、慰めるのも、一緒に笑うのも、全てオレなのだけれど。
「和ちゃん。どしたんなら? 言うてみんと分からんがな?」
和ちゃんが小さな声を漏らす。
「なんか、急に寂しゅうなって」
和ちゃんは和ちゃんなりに、いろいろ考えているらしい。
「お母さんが、おってくれたらなあ」
最近、頻繁に口にだす。
「和ちゃん。これから一緒にコープへ買い物行こうやあ」
やっと、和ちゃんに笑顔が戻った。
オレは今、和ちゃんの笑顔を見るのがとても好きになっている。息子バカかもしれないけれど、和ちゃんの笑顔はとってもキュートだ。

★10月9日
今、コープから買い物をして帰った。今日で3回目? 一緒に行くのは。コープまでは充分に歩けることが確認できた。背中に背負わせているリュックに、今日は少し買い物を入れてみたが、脚にふらつきもなく大丈夫。
昨晩から今朝、和ちゃんは爆睡だった。今朝冷えるとの予報だったので、毛布から掛け布団に代えたのが良かったのか、8時頃よりウトウト始め起床までにトイレは深夜2時頃に一回だけ。トイレの電気も消してみたら、ちゃんと直進。助かる。
昨日、岡山の繁華街で撮った写真のプリントを蜂谷さんからもらう。パソコン用のはCDでもらって見てはいたのだけれど、プリントの出来がスコブルいい。帰路の赤穂線車中、一駅区間、和ちゃんの写真の笑顔を見ながら目頭が熱くなった。
“子の心、親知らず”
そして、やはり思った。
「この笑顔をいつも見ていたい」
「笑顔でいられる環境を創作しなければ!」
難しいけれど。

★10月10日
今日は、亡くなった親父の誕生日だ。以前は今日が体育の日で、運動とは全く無縁な親父とのアンバランスに苦笑していたものだ。2年前ぐらいまでは和ちゃんも、仏壇に花をデコレーションしていたけれど、そんな様子はもう全くない。とはいえ、墓掃除の心配だけは日々繰り返している。
デイサービスに出掛けた。今朝は少々悩んでいた。靴。和ちゃんが履いている靴は古く、まだまだ履けるのだけれど、所々の色が剥げてきている。デイサービス利用者の誰かから、
「この靴、汚いなあ」
と言われたとかで、剥げている箇所を擦ったりしている。
とりあず応急処置として、濃い茶色の靴の剥げたところに黒の靴墨を塗っておいたら、和ちゃんも納得してくれ元気に出発。オレはストレスが貯まる。今日はこれから、オレ自身の診察に市民病院に出向かなければならない。高血圧症。
今は落ち着いてはいるけど、かれこれ10年近い付き合いだ。40歳になる前からだから。自律神経失調症でも通っている。
「もしオレが先に倒れたら?」
こんな不安がときどき脳裏を過ぎる。中年介護者とはこんなものなのだろうか?