1月29日〜2月18日
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日記TOPへgo! ★1月29日 朝起床してビックリ! 積雪している。やはり強烈寒波到来というのはビンゴだった。今日は和ちゃんと一緒に買い物に行けそうにない。午前中は雪が溶けないだろうし、溶けても道が凍結するだろうし。和ちゃんを歩行させるのは危険だ。 ところで、オレの体調が悪い。悪いといっても、昨夕の夕食後、2日賞味期限切れのパンが2個あり、それを無理して詰め込んだのが元。食べ過ぎでピーピー。隣で和ちゃんが美味しそうにコーヒーを飲んでいる。まあ、今日は一日屋内にいよう。 しかしなあ、和ちゃんが印鑑を無くして(本人としてははどこかに隠している・しまっている“らしい”)しまったのには参った。昨日はその件で役所・郵便局・民間保険会社とコンタクトをとりまくった。 和ちゃんがアルツハイマーと宣告されて以降、初めて『後見人』という言葉が飛び出してきた。 『後見人』。そろそろ勉強する必要があるのかもしれない。 ★1月30日 和ちゃんは今朝も、元気いっぱいでデイサービスに出発して行った。岡山としては氷点下もかなり厳しい朝なのに。オレは気遣って和ちゃんに問うた。 「和ちゃん。寒いからあっち(デイサービス)は休む?」 「休みてえけどな。お母さんが許してくれんのよ」 混乱・混線の極みだけれど、和ちゃんのお母さん、つまりオレの祖母は確かに厳しかった。オレも小・中学校の9カ年を皆勤している。いや、させられているというのが実情だった。オレはお婆ちゃん子だったから。和ちゃんは働きに出ていたし。 しかし、父を幼少に亡くし母子家庭で育ち、45年間働きづめだった和ちゃんはオレよりはるかに肉体的にも精神的にも強靭なのかもしれない? いろいろ考える。おかしな話だけれど今、 「ただいまー」 の元気な声が聞きたくなっているオレがいる。20分前に出たばかりなのに。 ★1月31日 1月28日発信の“Tomyの介護記録”(これはリンクしてる)から。 ●●就寝前に服を着替えてもらうように促したが、急に機嫌が悪くなった。私はブチ切れて母の頭をパジャマで思い切り叩いてしまった。もはやこれは暴力だ。言うことを聞かないなら暴力でねじ伏せる、最低だ。最近の母は特に醜く、私も怒りっぽくなってしまっている。●● オレも介護苦からオヤジに手を上げた夜のことは忘れられない。 重度痴呆介護。 体験者で、Tomyさんを責められる人がいるだろうか? 和ちゃんとオレ。和ちゃん次第? オレ次第? いつ暴発しても不思議ではないのだから。 ★2月1日 ウーン? 今日は書くことがイッパイあるような! まあ、書き始めよう。 今日は和ちゃんを風呂に入れた。オレも入った。二人ともに三日ぶりだ。三日間入浴していなかったということだ。 和ちゃんは髪を一週間洗ってなかったので、髪と身体を洗った。これは、オレにはキツイ。風邪をひかせないためにもスピーディーにやらなければならないからだ。 というのも、我が家の暖房機器はオレと和ちゃんがいる部屋の炬燵一つ。風呂周辺は極めて寒い。だから、最近の寒波の中では入浴は無理だった。もちろん、炬燵の周りも寒いけど。 これを聞くと、誰もが驚く。ただ、これを続けて3年目。これまで風邪は二人ともひいてない。しかし、最近の寒さは尋常ではなかった。断っておくと、ファンヒーターは2台ある。 血圧には確かに悪い。でも、身体は段々に慣れていくんじゃないの? 実は現在時間、1月31日の午後3時半。風呂から出て書いている。和ちゃんはオレの斜め前方でテレビに向かっている。イチゴを食べてご機嫌がいい。オレは箱酒を飲みながら書いている。明日はアチコチ出歩く必要に迫られ書けそうにないからだ。早書きということだ。 そろそろ酒が2合近くになりそうなので、ちょっと文章・文体が変かな? 和ちゃんを風呂に入れたあとでは2合くらいはいい。今、世間の人たちは労働しているのに。でもなあ、こうでもしていないとオレの神経に悪い。オレだってオレなりに夢があり、自己実現にチャレンジしていた最中のアルツハイマー宣告だったのだから。泣きが入ってるなあチクショウ。 今日はヤッパここまで。2合が効きはじめている。 和ちゃんはといえば、炬燵の中でオレの足の裏をこそばせている。 オレは最近、運命・宿命ということを哲学することが多くなった。もしかすると、オレと和ちゃんの共倒れもありうる。もっとも、和ちゃんには年金がそこそこあるから生き残れる。オレは、過去の経緯から、中央アメリカのグアテマラに新天地を求めるかもしれない。 そりゃあ、和ちゃんが天寿をまっとうしてからの話だけれど。 読み直すと、今日の日記は変だ! ★2月2日 “スペースシャトル・コロンビア”墜落のニュースを和ちゃんと見ている。和ちゃんも意味を理解しているのか? 「きょおてえなあ!」 と真剣な表情。 和ちゃんに言わせれば、今朝は、 「いつ止まるんかと思うほどウンコがでたんよ」 宇宙へ飛び出すという自己実現・夢をかなえた“死”。 アルツハイマーながら日々送る“生”。 ★2月3日 今日で3連発。三日連続で、和ちゃんは大量のウンコを放出。まあ、これは自己申告なので、そろそろ一度確認してみたくもなる。とりあえず、便秘で悩むこともなく、自力で放出場所に向かい落下させているのだから、和ちゃんは偉い!! 「和ちゃん。明日、もしウンコ出るようなら見せてくれる?」 「そりゃあ、ビックリシャックリじゃけど、ええよ」 「和ちゃん。ウンコが出るところ見られて恥ずかしゅうねんか?」 「恥ずかしいけど、あんた私のお医者さんもしょうるが!」 まあ、悪い方向ではないか? ★2月4日スペシャル 2月4日の日記だけれど、今回も3日の午後3時に記している。和ちゃんを風呂に入れ、今は和ちゃんと炬燵に足を突っ込んでいる。 3日。節分。コープに行ってマメを買い、コーヒーを飲みながら自分の年齢だけのマメを食べた。和ちゃんは76個の半分でゲームセット。オレは46個食べた。今月には47歳になるのだけれど。夕飯では、どっちの方向を向くのだったかな? 海苔巻きを一本食べる。これは、和ちゃんが縁起担ぎで、毎年必ず行っていたからオレも覚えていてそれを実践。 どっちの方向? 和ちゃんに問うても今は判らない。 しかし、入浴後にヨーグルトを食べさせ、海苔巻きと共にヒジキも食べさせる。これは結構、ウンコの排出にもいい。オレは、かなり気を使っている。 で、今日はなぜ? 今、記しているかといえば、明日は市民病院へ高血圧症と自律神経失調症の診察に出向かねばならないからだ。明後日は、和ちゃん同伴で岡山市介護保険課にも出向こうと思っているので、日記が書けるかどうか? 今は、なるべく日記を途切ることなく進めたいのが本音。 そこで、このスペシャルでは以前、ある業界紙に連載した中の一つからオレの自律神経失調症について書いたものをコピーしたい。少し編集するが。 “自律神経失調症”顛末記 今回、“介護”という視点からも逸脱する。テーマは何かといえば、「自律神経失調症」だ。というのも、友人でもあるベテランの女性介護職が更年期障害で悩んでおり、「野田さん、えろうておえんのじゃ!! 仕事が続けられん」という私への嘆きが発端にはある。自律神経失調症と更年期障害の症状がかなり似ているとも聞かされ、敢えて筆を採ることにした。 “敢えて”などと偉そうに書いたが、実のところ私が自律神経失調症を患っているのだ。高血圧症と二つを掛け持ちしているわけだが、もちろん、薬もそれぞれに対応するものを処方してもらっている。具体的に薬名を記せば、自律神経はメイラックス。高血圧はコニール4J。もっとも、ここでは私の自律神経失調物語を聞いてもらうだけのことなのだけれど!! 私事でスミマセン。 平成10年11月だった。岡山市原尾島方面にある病院で、老人介護について語り合う催しがあった。私も招待されて参加していた。午後1時頃から討論に入った。約15人程が参加しており、私も1度は意見を述べそれぞれが語り一巡した。 突然だった? いや、以前より軽い症状はあったが血圧が原因と考えていた。頭がボーとし始め、息苦しくなった。確かに私の頭上には古い型のエアコンがあり、そこから熱風が勢いよく吹き出してきていた。私は外に飛び出した。しかし、催しが終わった時点でも、頭はのぼせっぱなしで顔は火照っていた。もちろん息苦しさに変化はない。 で、そのまま帰路についた。岡山駅まで歩いて?。ところが、後楽園の鶴見橋手前で歩けなくなった。30分ほど休憩。なんとか持ち直し、岡山駅方面へ。シンフォニービル前。世間が揺れ始めた。動けない。三和銀行前のバス停の椅子に座り込む。ここで1時間。苦しい。息苦しいというより、呼吸困難。目前にはタクシーが乗車待ち。乗りたい。しかし、情けない事に「カネがもったいない」と脳から指令。「赤穂線で帰れ」とも。 再び歩き始める。遠い。なんとか岡山駅到着。私は考えた。「もしかしたら、アルコールを入れれば回復するのでは?」と。 250CCの酎ハイを飲んだ。ちょうど、16時4分発の赤穂線が5分後に出る。運良く、座る席を確保。 ところがだ、私はパニック状態に至った。イライラし始めたかと思うと、今まで以上の呼吸困難。次の高島駅まで約5分。「ドアが締まり出発してしもうたら逃げる所がない?」と脳が叫ぶ。「どうすりゃあええんならあ?」。私は電車から飛び出していた。酎ハイが逆効果だったようだ。 結局、駅前からタクシーで帰宅したのだが、東山峠、益野団地あたりで極度の呼吸困難に襲われ車外に出て深呼吸。我が家に帰って自問自答。「これは《?過換気?》症候群ではないのか?」と。以前テレビの番組でやっていた画像が脳裏を過ぎり、急いでビニール袋を探しだし、アンパン(シンナー)小僧のようにビニール袋を口にしスーハーとやってはみたが、やるだけ体力を消耗。 とうとう、晩飯も食べられず、もちろん風呂などは問題外。寝床に入っても苦しい。ここで、脈を獲ってみると分間150を超えている。怖い。「このまま目を閉じてしまうと、明日はないんじゃないか?」と。生まれて初めて、“死”を意識した瞬間だった。 しかし、私はある革命家の言葉を思い出した。「死は、死を恐れる者を、まずはすみやかに選びだす」。負けられない。 翌日。熟睡などできるわけもなかったが、目が覚めてもしっかり生きていた。しかし、体はだるく苦しい。軽く朝食をし、朝一番で高血圧で通っている岡山市民病院へ。しかしトラブル。西大寺から乗った赤穂線の中で軽いパニック。ただ立っているだけなのに大きく呼吸をしないと息が出来ない。心臓の動悸が分かる。胃が痛い時に胃を意識できるように、心臓が意識できる。トントントントン。脈もスコブル速い。 市民病院までタクシー。高血圧で掛かっている先生に必死で訴えると、神経内科へ行くよう指示を受ける。神経内科でも少々取り乱す。が、問診等の後、アッサリと診断される。「自律神経失調症」と。そしてメイラックスを処方され、この日の夜より約2年と少し、これらの不快な症状からは解放されている。 ★2月5日 午前9時10分。和ちゃんは隣でテレビを見ている。 で、今日は岡山市介護保険課で知人の職員に取材(和ちゃん同伴)する予定だったのだが、和ちゃんがどうも風邪気味かな? という雰囲気。クシャクシャ・シュンシュンやっている。熱はない。 とはいえ、本格的風邪・インフルエンザなどになっては困る。和ちゃんもオレも。 オレは介護保険課へ電話。キャンセルさせてもらった。 しかし、予定があくまでも予定であって決定事項にならないのが辛い。ただ、デイサービスの日に予定していなかったオレも悪いのだけれど。 熱はないので買い物には連れて行こう。本人も、行きたいと言ってるし。 ところで昨日、ある女性からメールがあった。 「ボランティアで家の掃除してもいいですよ」 ありがとうございます。 介護をしていると“楽しい”ことは激減するが、“嬉しい”ことが多くなる。“嬉しい”ことは、心を豊かにし生き続けるファイトを増殖させてくれる。踏ん張ろう! まだまだオレの介護は入門コースだけれど。 ★2月6日 なんかヤレヤレという気分。まあ、和ちゃんは最終的には笑顔でデイサービスに向かってくれたけど。 ささいな事が重なった。 まずは、朝食のとき、和ちゃんがコップに入ってるほとんどのお茶を炬燵布団にぶちまけた。次はオレの目の中にゴミが入った。けっこうデカカッタ。イライラしてくる。とにかく埃だらけの中で生活しているから当然の結果。 和ちゃんが歯磨き終了後、オレが入れ歯を磨く。和ちゃんに入れ歯を出すように言うと、あちこちのポケットに手を入れて探している。ここで爆弾。 「アホウ! 入れ歯は口の中じゃろうが?」 顔を洗いに風呂に行く。我が家は温水が出ないので、風呂の残り湯とポット湯を混ぜて洗わせている。これは和ちゃんだけ。オレは水で洗う。風呂に行くと、タオルを持っていないのでズボンで手を拭いている。タオルは、歯磨きのあと渡したのに、風呂場まで持って行っていないのだ。 「なんしょんなら。アホウにつける薬はホンマにねんかのを?」 和ちゃんが涙目になっている。イライラが募る。 「ワシ、今日はゆっくりさせてもらうから。帰ってこんで!」 和ちゃんが泣き出した。両手を目にやって子供が泣くように。こうなるとこちらが白旗。 「ウソじゃがな。ウソじゃがな。和ちゃんが『ただいまー』ゆうて帰ってきたときにゃあ『お帰りー』ゆうて言えるように待っとるがな。もう泣くな」 「せえでも、帰らんゆうて言うんじゃもん」 和ちゃんがオレの胸に顔を押しつけてきた。小さな身体。オカッパ気味の後頭部がオレの視野に入る。なんとも言えない切なさ。人間・息子・男。どこの視点から見ても失格だろうなオレは。 その後の30分間、オレは和ちゃんのご機嫌伺い。デイサービスに向かうときには、いつもの和ちゃんに戻っていた。 今、インスタントのカプチーノが心を穏やかにしてくれる。 でも、淋しさも漂う。今の和ちゃんはオレに反論してこない。凛としていた頃の和ちゃんとのケンカ口論が懐かしく思えてもくる。 デイサービスで今日、しっかり笑ってきて欲しい。 ★2月7日 和ちゃんが発熱した。 昨日デイサービスから帰宅時、送迎してくれる谷口さんから、 「和子さん、風邪ですかね? 声の様子がちょっと?」 と知らされ、着替えをさせ熱を計った。 37.7度。 額に手を当てると、確かに熱い。食欲もないと言う。ただ、見た目にはしんどそうではない。欲しくないと言う和ちゃんに、無理して海苔巻き3個を食べさせ、市販の風邪薬を飲ませる。インフルエンザだと、下手に風邪薬を飲ませない方がいいらしいのだけれど、オレは医者ではないので風邪なのかインフルエンザなのか判断はつかない。 午後7時。熱を計る。38.1度。かなり熱くなってきている。明日を考える。病院にいくか? かなり風邪予防には気を使ってきたから、内心腹が立つ。 加湿器を出す。霧状になって飛散していく。なかなかだ。 今日の午前3時。和ちゃんがトイレに向かったので、ついでに熱を計る。37.1度。やれやれ。インフルエンザではないらしい。身体の節々も痛まないと言う。 午前7時。36.9度。朝の体温としては高いけれど、和ちゃんの平熱は高い。過去の例から、37.2度ぐらいまでが許容範囲だ。 それでも、あまり食欲がないので、リンゴを剥いて半分食べさせる。お茶もたっぷり飲ませる。このまま治まってくれればいいのだけれど。 今、和ちゃんは炬燵で丸くなっている。明日のデイサービスは当然お休み。オレはやはり、予定は立てられそうにない。ゆきあたりばったり。もっとも、オレの人生は基本的にそうだった。 今日は優しくしよう。またまた今日一日、和ちゃんと一緒だ! ★2月8日 実のところ、日記を書く気が全くしない。かなり、アルツハイマー攻撃でオレの神経がやられている。和ちゃんに対する言動も命令調に傾いてしまう。 では何故、日記を記しているか? ある意味では、はしくれに位置するライターの意地。その意地の根幹にあるのは、いずれこのアルツハイマー日記も介護関係者に貢献できるのでは? さらには、オレ自身にもアルツハイマー日記にライターとしての野心があるからだ。 となると書かなければならない。いつ寸断・崩壊するか分からない運命にもあるけれど。それは明日かもしれない。まあ、日記なんて、無理に毎日書く必要もないのだから。とはいうものの、 「毎日読んでます」 なんてメールをいただくと、背筋が伸びる。 ただ、この日記の場合、公開日記。公開日記自体には問題がないのだけれど、日記を書いてHPにアップする作業に少々手間取る。 まず、愛用のibookに日記を記す。これは、Mac専用のシンプルテキストに記す。これを、Jeditというソフトにコピーする。このJeditはプロのライター様の多くが使用されており、文字数などもしっかり確認でき使い勝手がある。そして、HPアップのたあめにHTML形式でタグをはめ込んでいく。HPに、HP用ソフトは使用していない。だから、めんどくさくなる。 こんな理由もあるのです。 で、和ちゃん。今は午前9時半。寝ている。というか、寝させている。今日は物分かりがいい。 昨日、和ちゃんが久々に吠えた。 「人を馬鹿にするんもええ加減にせられえ。出ていきゃあえんじゃろ。野垂れ死にします」 「オオ!! 勝手に野垂れ死にしてくれえ。死ぬゆうたんじゃけえ、絶対死ねえよ。パトカーやこうに乗せられて帰って来たら近所に風が悪うて住めりゃあせんで!」 「そんくれえ分かっとらあ。吉井川に飛び込みます」 「吉井川まで行けるんか? アルツハイマーのくせして」 「アルツハイマー、アルツハイマーゆうけどなあ、死ぬぐれえできるんじゃ」 まず、こんなやりとりがあった。まだ凛としていた頃の和ちゃんを、一瞬垣間見たような気もする。あの頃はいつもケンカしていた。 風邪は段々に良くなり、熱は36度台。熱は上がってないか? 夜中に何回か額に手をやり確認・心配していたのに、余計に腹が立つ。 昨晩、熱を計ろうとして近づくと臭い。口臭だ。以前から口臭はあっったけれど、昨晩はきつかった。口の中、隅々を点検。驚いた。入れ歯ばかり気にしていたけど、たぶん、歯槽膿漏だと思う。歯茎などは腐っているように見える。先を考えてしまう。 「ハーーア! 今度は歯医者か?」 そして今朝、入れ歯を紛失。 「一昨日からのうなっとったんじゃけど怒られると思うて言えなんだんよ」 昨日、タフデントで消毒していたばかりなのに。 しかしなあ、アルツハイマーは手強い。 そういえば和ちゃん、ウンコが4日間ほど出てないなあ。 ★2月9日 風呂に入ってないなあ。昨日で3日間入ってない。今日はなんとしてでも入ろう。和ちゃんも風邪が絡んで5日間入ってない。天気予報の今日の最高気温を確認すると15度。和ちゃんの髪と身体も洗うか? 風邪がぶり返す可能性もありそうな? ウーーン、困る。 しかし、和ちゃんのことばかりに翻弄される。理解はしていても納得できない自分がいる。 もう少し、和ちゃんと“まとも”な会話ができればとも思う。これも無理な話だけれど。“まとも”な会話になればケンカになるし。アルツハイマーになったから和ちゃんを愛おしく思えるようになったわけだし。 ??????????? まだまだ余裕はあるけれど、“塵も積もれば”同様なのかもしれない。 肉体的には、血圧も自律神経も、それに高校時代よりあまり良くない消化器能まで安定している。問題は精神面だ。弱い! イラクとか北朝鮮どころじゃないなあ! 今日も意味不明な日記になってしまった。 ★2月10日 昨日、オレも和ちゃんも風呂に入った。先に和ちゃんを入れ、オレは後から。 和ちゃんを風呂に入れることには少々迷った。午前中、コープに買い物に行って、和ちゃんの足取りは軽かった。昼ご飯にソバを食べ、これも美味しい美味しいと食べコロッケを半分食べた。体温は36.8度。条件は整っている。こういう時に入れないと、明日は分からない。親父はアッサリと肺炎になってしまっていたし。 和ちゃんを風呂に入れよう。髪は先月末に洗ったのが最後。 寒くはない。ただ、オレが考えている通りに段取りよく事を運びたい。しかし、和ちゃんは上下と前後は理解しているけど左右は分からない。風邪をぶり返させたくないオレは、言葉通りに動かない和ちゃんに怒号を浴びせる。オレ自身、血圧が上昇していくのが判る。脳の血管がぶち切れては最悪。和ちゃんを湯船に戻し、オレは深呼吸する。 即効で身体を洗おうとすると、大袈裟ではなく短距離走を目一杯走っているようにもなる。ある施設で入浴現場を取材したことがあるが、そこでは一夏に何人かの職員が気を失ったと聞かされた。 和ちゃんはオレの怒号に目を赤くして耐えた。オレの心ではゴメンと叫んでいる。しかし、口から飛び出すのは、 「ちゃんとせえ! アホウはアホウなりに努力してみい」 風呂から上がり髪をドライアーで乾かす。背中からしっかり抱きつく。 「和ちゃん。怒って悪かったなあ。ゴメン」 「私がしっかりせんからじゃが」 我が家の玄関には、最近一枚の写真を置いた。和ちゃんが、デイサービスでイルカを観に行った日の写真。和ちゃんは横から小さく写っているけど、楽しそうに笑っている。オレは、こういう笑顔を見たいために一緒に生活しているのに。 写真の和ちゃんは他の人より小さい。オレの頬が涙で濡れた。 ★2月11日 結果として、和ちゃんの頭を叩いてしまった。大袈裟かもしれないけれど、比喩すれば“もはやルビコン川を渡った”心境に近い。 昨日の朝、和ちゃんはウンコが2本、いいのが出たとオレに報告。そしてプラッツに買い物に行き、昼食は和ちゃんの好物である肉うどん。これも食べきり、風邪のぶり返しの心配はなくなったと確信した。 和ちゃんを連チャンで風呂に入れることにし、風呂を沸かした。風呂に入る前、和ちゃんはオシッコに行き、自分のパンツにウンコが付着していることを知りオレに報告。パンツにウンコが付着するなど当然のこと。問題はない。 和ちゃんが風呂に入る前、パンツをオレに確認させた。オレは見た。付着している。その時、和ちゃんはその付着ウンコを触り、触った指を髪の毛に持っていった。オレは突発的に手が出た。その手を払おうと! しかし、払おうとした手は和ちゃんの頭を平手打ちする格好になってしまい、和ちゃんからしてみればオレに殴られたと思っても仕方ない。 オレにとっても和ちゃんにとっても不運。しかし、“思わずに”ということはある。“ある”けれど、オレの自己嫌悪は奈落の方向に向かう。 以前も確か、こんな事があった。 和ちゃんの風邪は、今は鼻風邪。ジュルジュルと鳴らしている。ティッシュで鼻をかむ。そしてそのティッシュはゴミ箱にはいかず、ティッシュの箱へと戻っていく。 スローにジワジワと悪い方向に進んでいる様子にも見える。 なんだかんだと記してきたけれど、オレが和ちゃんを叩いたことに違いはない。抵抗できないでいた親父に手を上げた昔、そして和ちゃんまでも。 キツイナアー。 和ちゃんのアルツハイマーの進行速度より、オレの心が壊れていく速度の方がはるかに速そうだ。 でも、不思議なことが一つ。夕飯はしっかり平らげ、8時過ぎには爆睡体勢。イビキまで添付して。つまり、尾を引かないのだ。 本当のところ、和ちゃんにとってオレはどんな風に映っているのだろう? 善人? 悪人? 単なるサポーター? だからといってなんなんだ! 2月11日午前8時20分。和ちゃんは鼻をジュルジュルいわせながらデイサービスに向かった。 ★2月12日 “贅沢は敵だ!” “鬼畜アルツハイマー” オレの魂が叫んでいる。和ちゃんの意志には全く関係なく、彼女からの奇襲・揺動戦法にオレは大本営発表のように“軍艦マーチ”をBGMにした破竹の快進撃とはいかない。“海ゆかば”。連戦連敗。しかし、誰彼なしにオレの本音・泣きは語れない。 “欲しがりません勝つまでは!” 2本あるジーパンの又の部分がやばくなってきた。もうじき穴が空き、パンツが見えてしまう。オレはブリーフ派。47歳を目前に、パンツ見せのルックスはいただけない。 気分転換用の箱酒も、一箱140円の酒から96円の酒に下げた。以前も96円の日本盛の“鬼ころし”を飲んだけど、身体に合わなかった。今は、身体を“鬼ころし”に合わせるよう努力している。26センチの足で、24センチの軍靴に合わせるようなものだ。 為せば成るってか? 断っておくが、オレは軍国主義者などではない。当時の歴史資料を閲覧するのは好きだけど。オレは時々歴史の空間を跨ぐ。天満屋の地下を歩いていて。 「ここで、防空壕として逃げ込んだ多くの岡山県人が亡くなったんだなあ!」 和ちゃんがまだ壊れてない頃、オレに教えてくれた。 「軽便鉄道の財田駅でアメリカの機銃掃射におうてなあ。水島へ挺身隊で行く途中に、わたしらあ逃げもうたんよホンマ」 告白すると、この日記は11日の午後3時半から書き始めた。反則? “鬼ころし”を飲みながら。 一箱96円の“鬼ころし”はオレの身体に拒否反応を示しているようだ。 だって、こんな内容の日記なんだモーーーーーン。 ★2月13日 平成14年度版「すこやかでふれあいのある長寿社会をめざして(岡山市発行)」から引用 在宅介護者にねぎらいを オレと和ちゃんは、この該当者にあたる。忘れていた。岡山市在住の方々は、もらえるモノはもらいましようョ! ★2月14日 一昨日から具合が悪かった。発熱はなかった。ただ、喉が痛く身体がだるく、咳も少々。昨日は一日、寝ていた。もっとも、食料の買い出しには出たけれど。 今日はかなり調子が良くなった。発熱もないし、身体の節々も痛くないからインフルエンザではないはずだ。というわけで、計算が狂って5日間風呂に入れず。今日は入ろう。 和ちゃんは隣でカフェラテを飲んでいる。もう1時間ほどしたら、買い物に行こう。もちろん一緒に!! 土曜までの蜂谷師匠の写真展には行けそうにないなあ? ★2月14日スペシャル スペシャルということで、本当にスペシャルな事件だった。 今、和ちゃんはオレの隣で、なにもなかったかのようにヤクルトを飲んでいる。ついさっきまでオレは阿修羅のような形相だったはずなのに。 午後4時。風呂から上がったばかり。オレは今日も、結局入る気にはならないから5日間入らないことになる。臭い? 今日昼前、プラッツに買い物に行った。帰路、和ちゃんの表情が普段と違う。いつも一服してコーヒーを飲んで帰るのだけれど、今日は買い物をして直ぐに帰路に向かった。 「和ちゃん、えれんか?」 「どういやあえんかなあ? ちょっとなあ?」 ソワソワしているような? 落ち着きがない。それでも、そのまま歩いて帰った。帰宅して直ぐ、和ちゃんはトイレに入った。中でブツブツ言っているのが聞こえてくる。 「どしたんなら和ちゃん? ウンコでも漏らしたんか?」 オレは冗談半分で聞いた。 「そうなんじゃ。パンツの中にいっぱいあるんよ」 オレはドアを開け、パンツとズボン下をずらしている和ちゃんの後方からパンツを覗く。親指大のヒジキ混じりのウンコが一つに、その周りが下痢便のように濡れ・汚れている。オレは、和ちゃんに言った。このままなら問題は少ない。 「和ちゃん、そのままで。そのままの姿勢で待っとけえよ」 オレは新聞紙を二日分持ってトイレに入った。 “アチャー!!” 不安は的中した。和ちゃんの指にはウンコが付着し、その指で上着にも触っている。今回のはベットリ。和ちゃんは和ちゃんなりに努力したのだろうが? 「アホウ!! このクソババア。言われたようにせえ」 ここで一発、和ちゃんの尻を叩いた。悪いとは思わなかった。 「キイイイイー」 和ちゃんが唸る。唸りながらオレに食って掛かってくる。もちろん手も伸びてくる。汚い。オレは後方に飛び下がる。が、トイレは狭い。下がりようがないのに下がったため頭をガチーン。 「アホウ!! 頼むけえ、そのまま動かんでくれえ」 オレは濡れタオルで和ちゃんの尻から脚を拭く。情けなくなる。 下半身を拭き、新しいパンツ等を履かした。両手も洗わせた。上着も着替えさせ、洗濯した。 この後、オレは和ちゃんに罵詈雑言を浴びせた。和ちゃんは、 「スミマセン スミマセン」 シビレルほどキツイ。神経がプッチンしそうだ。オレはふて寝した。和ちゃんは炬燵前で正座して坐っている。とはいえ、なんだかんだといってもオレのお袋。“おかあさん”だ。 「和ちゃん。うどん食べるか?」 「ウン」 和ちゃんはしっかりと、うどんを平らげた。そして風呂に入れ、今パソコンに向かっている。 考えてみると、プラッツ出発まえに和ちゃんに水分を採らせすぎた気もする。 今回のウンコ事件が一過性のモノか? 鬼畜アルツハイマーとの新たな戦の始まりなのか? 平成15年2月14日。バレンタインという日に良き思い出はないけれど、今日は忘れられないバレンタインデイとなった。 もう、明日は書かない。ゆっくりしたい。 ps 「和ちゃん。叩いて悪かったのお。ゴメン」 「ゴメン言うなあ私の方じゃが。迷惑かけてスミマセン」 耐え難いほど切ない。 ★2月16日 禁酒することにした。 禁酒しようと決意したのは15日の明け方。和ちゃんの安らかな寝顔を観ながら決めた。この母を叩いた。これからは“ない”などとは宣言できない。いや、“ある”に違いない。ペナルティーを自分自身に与えなければならない。禁酒。 禁酒したからといって、どうなる? 逆にストレスが貯まる可能性も大きい。ただ、これくらいしか思いつかない。 昨日、和ちゃんに質問。これは以前にも書いたかもしれない。 「和ちゃん、ワシに叱られてばあで辛えよなあ?」 「せえでも、叱った後はなんでもやってくれるし、私はあんたとおりたいんじゃ」 最近、オレは和ちゃんの幸せを考える。在宅。オレといるのがベストなのか? オレはといえば、腹が立つことは多いけど和ちゃんといたい。素直に愛おしい。 ところで、昨日、蜂谷師匠の写真展に顔を出してきた。奥様である美保様よりオレへプレゼントあり。それが可愛いシャンパンだった。このシャンパン、当分は冬眠してもらわないといけない。 冬眠? そう。オレは断酒したわけではない。あくまで、期限付きではない禁酒に突入するということ。自身との葛藤に折り合いが着けられれば再飲する。 とりあえず、13日から飲んではいない。13日と14日は休肝日だった。 西大寺裸祭りも終わり、いよいよ備前平野に春が訪れるんだなあ! ★2月17日 熱は出ないのだけれど、風邪が治らない。オレは風邪気味という状態が続いている。正直、和ちゃんを背負っているとシンドイ。こんな時、 「一人になりたーーーい」 「自由になりたーーーい」 と思う。実践することなどできないけれど。実践したとしても、後の“自己嫌悪”“自責の念”は半端なモノではないだろう。 だけどなあ、和ちゃんが今朝言った。 「風邪をひかんように、ちゃんと布団かけとかれえ」 そして、布団の位置を直してくれる。 アルツハイマーとはいえ、オレにこんな優しいことをしてくれるのは和ちゃんだけだ。 しかし、自己嫌悪になってばかりはいられない。 ここから書くことが続かない? まあ、なんとかなるだろう? ★2月18日 昭和31年2月18日に産声を上げたオレは、今日で47歳になった。“かぞえ”などではなく“満”で。 しかし、確かにいろんな出来事があった。でも若い時分、47歳になった頃、今のような環境下に置かれていようとは? ウーン? 親父を介護している頃には、多少はイメージしていたかもな? 今朝、和ちゃんはデイサービスに出る前、玄関で足踏みしていた。 「イチニ・イチニ」 掛け声を掛けながら、オレに言った。 「せえでもワタシャ、あんたが一番好きじゃ。怒られても、なんでもあんたにゃ言えるもん。イチニ・イチニ」 デイサービスに迎えに来てくれた谷口さんにも戯けて、イチニ・イチニをやっていた。そして元気イッパイで出陣。 なにわともあれ、オレの47歳はそこそこの出だしで始まった。 |