12月10日〜12月31日
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日記TOPへgo! ★12月10日 今、和ちゃんがデイサービス・ゆう倶楽部長浜より帰ってくるのを待っている。午後4時15分。だいたい、あと15分前後で帰宅する。 で、和ちゃんお気に入りの谷口さんがお休みしている。先週と今日。今朝お迎えの鹿村さんに聞くと、お休みが長くなるかもしれないとのこと。職員の人たちにも元気でいて欲しい。特に、谷口さんの場合は和ちゃんにとって死活問題かもしれないのだから。 大袈裟ではなく、不安で飛び込んだデイサービス・ゆう倶楽部長浜での初日から、和ちゃんは谷口さんに好感を持ち、今日まで和ちゃんなりに谷口さんへの感謝の言葉ばかりを発してきたのだから。谷口さん、とは言えないけれど、聞いていれば理解できる。もう、1年4ヶ月通ってるもんね。 早く快復して欲しい。 そういえば先週、オレは谷口さんがお休みしていることについて和ちゃんに質問した。 「和ちゃん。和ちゃんと仲のええ人。お休みしとるらしいな?」 「赤ちゃんが生まれるらしいよ」 ハーア!? とその時は思ったのだけれど、別の職員さんは確かに、近々に出産すると鹿村さんから今朝聞かされた。 和ちゃんの記憶力。完全崩壊ではないようだ。 オット!! 車の音がする。お出迎えしなと。 ★12月11日 昨日、天候同様に穏やかな一日を和ちゃんと過ごした。まあ、一回や二回は怒ったりもしたけど、和ちゃんにとっては全くダメージがないものだった。慣れもあるのかな? で、和ちゃんの仕事の一つに買い物先で頂戴してくるビニール袋たたみがある。アッ!! コープでは5円玉を缶のようなものに入れています。ハイ。 ビニール袋を、和ちゃんは上手くたたむ。そしてハイポーズ。 ★12月12日 この2・3日。国家公務員・県職員等にボーナスが支給されたという報道を、テレビとかで目に耳にすることが多かった。羨ましい・妬ましいコンチクショウ。貧民の僻み根性ですからお許し下さい。これもストレス発散なのですね。 で、和ちゃんもそのニュースをオレと一緒に観ている(観ているはず)のだけれど、和ちゃんも羨ましいのか? 「そりゃあええことコンペイトウ」 と独り言のように言う。オレは質問する。 「和ちゃん。あんたボーナスの意味を判って言よんか?」 「そんくらい判っとるよ。『よく頑張りました』というご褒美じゃが」 オレは和ちゃんの痴呆度が、ほんとうに重度前期あたりにあるのか疑問に感じ始めている。アルツハイマー病を宣告され1年半。微妙に悪化しているのは認知できるのだけれど、かといって良い方向にある部分も存在するような気がしてならない。 だからというのではないのだけれど、オレは最近、エッチなサイトは和ちゃんに隠れて見ている。 ★12月13日 現在時、12日の午後3時38分。和ちゃんが帰宅するまでに20分少々。デイサービス・和みのときは4〜6時間設定でお願いしてるから帰宅時間は午後4時。今、オレは風呂から上がり、餃子をつまみに日本酒をひっかけながらPCに向かっているのです。でも、この日記に関しては、日記というより散文のイメージになってしまったなあ!? 不規則日記かな? しかし、オレの日々の暮らしも世間と比較するとかなり逸脱してしまった。でも、これが介護最前線。判る人にはわかる。 オット!! 携帯にメール着信。デイサービス・和みのときの北の迫さんから。帰宅が予定時間より遅れるとのこと。了解を返信。 ところで今朝、和ちゃんは起床してまずは一言。 「他の皆さんはもう出られたん?」 和ちゃんの世界では、和ちゃんと一緒に何人もが共に寝ているらしい? この起床時の言葉は毎朝、頻繁に耳にする。それは、それでいい。それにしても和ちゃんは眠る。昨夜は疲れていたのだろう。午後6時過ぎに眠りに入り、起床は今朝7時。2度トイレに行ったけれど、直ぐに眠れるとのこと。一日の半分を眠っている。やはり介護者からすれば、良性アルツハイマーと表現しても過言ではないと思う。 それに、おカネを元々もってないと思っているから、“おカネを盗られた”などということは一切ない。介護者からすればありがたいことですホンマ。 そしてオレ。今日は母校である岡山県立岡山東商業高等学校に“背番号13青春録”を納品してきた。昨日と今日で30冊。卒業生とはいえ、14日にある岡山東商デパートに物品を納められるのは画期的なこと。なんせ、職員会議で了解してもらっての納品だから。 とはいえ、最近、母校の先輩・後輩・同輩、そして先生方には大変お世話になっている。 介護最前線ど真ん中のオレだけど、生きているってスコブルよろしい。 書きながら、2合飲んでしまった。 ★12月14日 地震はあったけど、昨日はなんだか日射しも暖かく、オレと和ちゃんにとっても長閑で穏やかな一日だった。 プラッツでコーヒーを飲みながら和ちゃん。 「今日のは美味しいなあ!!」 分かるのだ。いつもより砂糖を半分多めに入れておいた。 そして足取りも軽く、ホンワカお天道様の下をノンビリと歩いて帰宅した。 ★12月15日 昨日も穏やかに一日を過ごすことができた。まあ、オレ自身が見て見ぬ振りをしている部分もあるのだけれど。 でも、和ちゃんとプラッツに買い物に出、確信できることは以前と比較して和ちゃんの足取りがシッカリしているということだ。躓く。岡山弁で言うところのケッパンヅクということが、僅かな、数ミリ程度ではほとんど無くなった。油断はできないけれど、足腰に限ってはかなり良くなってきている。 ところで算盤。算盤は和ちゃんが戦時中に、挺身隊として軍需工場のあった水島に勤務していた頃からの必需品で、ある意味では算盤のお陰でオレは育つことができたといっても過言ではないほどに和ちゃんは得意だった。 プラッツから帰宅し、和ちゃんが放り投げていた算盤をオレははじいてみた。ねがいましては。和ちゃんが興味を持った。そして算盤にチャレンジさせてみたら、1+.....6まではじくことができた。 「すげえがな和ちゃん」 和ちゃんも、まんざらでもなさそうに喜んだ。ヤッパ誉めないとな。 ★12月16日 いやあ、ホンマにホンマ寒くなってきた。オレも新しい手袋を買った。買いたくはなかったけど、去年まで使用していたのを紛失してしまった。この財政危機に。 さてと、現在時は15日の午後3時17分。和ちゃんのお帰りまでに40分近くあるのでPCに向かっている。とはいえ、オレは赤穂線に揺られ急いで出先から帰ってきた。こういう変則人生を送っていると、東京の山手線車中のギュウギュウ詰めが懐かしい。仕事して、軟派して、飲んで、たまには前後不覚になりトラ箱に放り込まれて。エカッタなあ東京は!! ヤクザ屋さんにも何度かドツカレタっけ。 オレは今、人生のどういう位置にあるのだろう? いろいろ考える。哲学する時間が増えた。だけどだけど、和ちゃんの介護とオレのこれからの人生設計ということでスーパーコンピューターに検証をお願いしても、楽しくなるような回答はないだろうな。考えないようにしてるんだけどね。 ところで、“背番号13青春録”に勢いがない。オレはオレなりに努力はしたけど、オレの期待とは幾分異なった。というのも、売れ行きという点ではオレの予想を大きく下回っている。まだ敗戦ではないので、過去形は使用しない。 ただ、+αは予想外の展開。ラジオ・テレビもありがたかったけど、母校である岡山東商より原稿の依頼があったことだ。原稿料はない。しかし、来年、岡山県の商業高等学校で学ぶ生徒に配布する“起業家教育ハンドブック(仮称)”にオレも名を連ねることになっている。なかなかの冊子で、一人2ページ頂いている。オレのようなフリーライターにとってはホンマにホンマにホンマ、ありがたい。オレのシブイ写真とHPアドレスも掲載してくれる。 母校。最近、いろいろお世話になる。 いろいろ苦しいことも多いけど、ヤッパ生きてるって、素敵だ。 少し時間が経過。和ちゃんが帰宅している。 「帰ったよー」 オレがPCに夢中だったので、和ちゃんは大きな声を出して帰宅した。オレの顔を見て微笑んだ。 この微笑みを見てしまうと、オレはいくら哲学してもご破算だ。 ★12月17日 分限者=金持ち こうやってPCでも打ち出せるのだから、“分限者”という言葉は岡山弁というのではないのだろう。キッチリ、極普通の辞書にも載っているから。 というのも、昨日デイサービス・サルピスを見学した。サルピスの松平さん・清久さんとは、ホームヘルパー派遣事業所を介護保険開始と同時にオープンした少し以前からの付き合いで、色々多方面にお世話になっている。 で、デイサービスは今年の5月初旬頃オープンしたのだけれど、昨日まで一度も訪ねてなかった。 旧松平邸(少し大袈裟か?)を改装・改築して立ち上げただけに手が掛かっている。特に食事には手間を掛けており、食材費は赤字らしい。とはいえ、口コミというのはあなどれない。掲示板を見ると、ほぼ定員が埋まるほどに掲示板には隙がない。オレも昼食をご馳走になったけれど、美味い。味も良いけれど、目で食べられるように手作りで工夫されている。キッチリやれば、キッチリと利用者さんも増える。近隣ケアマネジャーの受けがいいのも幸いしているのだろう。 さて“分限者”。オレはこの言葉をサルピス利用者である痴呆の方から教わった。固有名詞が次から次ぎに飛び出すので痴呆度も高くはないと思われるけど、痴呆の人から日本語を教わるとは.....。 とはいえ、確かに和ちゃんからもオレの知らない軍歌・唱歌を教わったのだから驚くこともないか? でも、良いデイサービスを訪ねるとオレの心も穏やかになれる。サルピスは食事もいい。住居環境もいい。それ以上に職員が真摯に模索しながら働いている。利用者さんがご飯のお代わりをしたり、おかずを残さず食べると職員が我が事のように喜ぶ。素敵な光景だった。 デイサービス・ゆう倶楽部長浜。デイサービス・和みのとき。どこも優しい人たちで囲まれている。 松平さんもそうだけど、最近、お袋を和ちゃんと呼ぶ人が増えている。 ★12月18日 昨日は和ちゃん、オレとアチコチかなりの距離を歩いた。西大寺観音院で百円を支払い、身体健康祈願のロウソクを立てた。郵便局〜中国銀行へ。そしてプラッツ。帰宅した時には背中にかなりの汗をかいており急いで着替えさせた。 「和ちゃん。そのシワシワオッパイを写真に撮るで」 ビックリした顔で問い返す。 「なんでこんなもん撮るん?」 羞恥心はある。写真を撮るということは、誰か他の人にも見られると理解しているのだ。オレだけだったら、なにからなにまで御開帳なのに。でも、羞恥心が残存していることは素晴らしい。 昼食時、オレに怒られながら、そして泣きながら和ちゃんはメロンを食べた。フォークを出しているのに、手づかみで食べていたからだ。手づかみされると、メロンの汁で辺りがベトベトになる。些細なことだけれど、オレの神経に触ってしまった。和ちゃん、不運。 もっとも10分後には、握手して、二人でNHKのてるてる家族を笑いながら見たのだけれど。 和ちゃんは元気で生活しています。 ★12月19日 12月30日は和ちゃんの誕生日。77歳になる。 和ちゃんは昭和1年生まれ。1年生まれというのは少ない。大正天皇がお隠れになった後、この年は幾月も無かったと思う。当時は、天皇陛下がお隠れになるという事は和ちゃんのような庶民家族でも大変な事件であり、オマケに大晦日も明日という日に産声を上げたため、周囲からは、 「この大事・大変なときに、もう!?」 という声がアチコチから聞こえたと明治の塊だった祖母からオレは聞かされている。 で昨日、カメラマンの蜂谷師匠と偶然に会ったのだけれど、12月30日は写真を撮りましょうということになり、デイサービス・和みのときへ一緒することになった。 この日、デイサービス・和みのときで和ちゃんの誕生会をしてくれることになっているから。 ★12月20日 寒ーーーーい!! 冬将軍到来ってか。 しかし、オレが“寒い!!”と体感するのと、和ちゃんが“寒い!!”と体感するのとでは少々の体感差があるらしく、オレはかなり気配りしている。 ところが、どうもオレの気配りは的を射てないようで、 「アチーばあじゃが」 とお叱りを受けることもある。背中にシッカリ寝汗をかいて起きてくることもあり、和ちゃんの体調管理には頭を痛める。正直、難しい。和ちゃんがもっと、言葉で表現できれば助かるのだけれど。 アルツハイマー、難敵なり。 そういえば、オレは文庫本を読むのが苦痛になった。最近はほとんど単行本を読む。文庫本を読んでると、頭が痛くなるというか、目がチカンチカンしてくる。そして、あまりに字が密集してるかのようでキツイ。 これって“老いた”ということなのだろうか? 下半身のカチンカチン度もなんかなあ? 昔はオレ自身さえ痛いほどのカチンだったのに。 オレと和ちゃんって、まさか老々介護じゃないだろうな? ★12月21日 昨日は怒鳴りっぱなしの朝だった。 今シーズン最高の冷え込みとかで小雪が降り始めていた。オレは和ちゃんを買い物に連れていこうかどうか悩んだ。和ちゃんが行きたいと言うので連れてでることにした。30分〜40分。和ちゃんを一人にしておくのも恐かった。オレを探して階段からでも落ちられたら悲惨だから。 準備はできた。これから出発というとき、和ちゃんが手袋をしてないのにオレは気づいた。つい2・3分前に手渡したばかりの手袋を。 「和ちゃん、手袋どしたんなら?」 「そんなん知らんよ」 この言いぐさにカチンときた。 「オドリャー、オメーだきゃあ、ワシがこれだけ心配したりょんのになんならその言いぐさはオオッ!?」 ズボンを履かせてやり、マフラーを巻いてコートのジッパーを填めて、至れり尽くせりなのに。 手袋を探した。10分経過。出てこない。そうこうしているうちに和ちゃんがズボンを前後ろに履いているので脱ぐように命令。すると、手袋の片方がポトンと落ちた。ズボンの腰ゴムのところに挟んでいたのだ。 「やっぱしオメーじゃねえか。ちゃんとせえクソババア」 この言葉に和ちゃんが怒った。履いている靴下を放り投げた。そして、ピントが外れていたけれど、 「分かりました。もう行きません。私がなんで盗らんといけんので? 恐いことを言う人じゃなあ」 会話にならない。ここでは省いているけど、トンチンカンな返答ばかり。オレは気が狂いそうになる。 「このクソババア。死んだらアルツハイマーが治るかもしれんで? もう、ワシを解放してくれえホンマ」 和ちゃんは泣き始めた。オレは益々、発狂しそうになる。 怒っても血圧が上がり、忍耐してもストレスになり血圧が上がる。血管切れるんじゃないか? オレは自身の身体が心配になる。冷え込んでいるのに。 しかし、買い物には出なければならない。一生懸命にオレの後をついてくる和ちゃんを見てると放っておけない。 「和ちゃん。寒うねえか?」 「これだけ着せてもろうとるから寒うないよ。あんた、今日も一緒に寝てくれる?」 オレは目頭が熱くなった。人目はあったけど、和ちゃんと握手。和ちゃんがまた泣いた。 「ありがとう」 と言いながら。 病気さえ患ってなければ素敵な母なのだ。いや、患いながらでも優しい女性であり真っ直ぐな母だ。そして、阿修羅に征服されているオレ。オレ自身の不甲斐なさに心は乱れる。 生きるということは難しい。 和ちゃんに言った台詞をそのまま自分に問えば、 「オレは死んだら、優しい人間として生まれ変われるだろうか?」 ダメだろうなオレは。 とはいえ、昨日は昨日。今日は今日。 オレが好きな言葉がある。グアテマラで教えてもらった。スペイン語だけど、 “マニャーナ・セラー・オートロディア”=明日は別の日 ★12月22日 「和ちゃん、昨日は怒られっぱなしじゃったのお。ワシのことを嫌いになったか?」 「なんのこと? あんた昨日、怒ったかなあ?」 昨日、コープへ買い物途中の会話。やはり、和ちゃんの場合は昨日は昨日で今日は今日。そして明日は明日なのだ。オレはなにやらホッ!! とするやら溜め息がでるやら。複雑な心境だった。 とはいえ、今シーズン一番の冬将軍は撃破した模様。和ちゃんは風邪も引かず元気イッパイ。オレの気配りが勝利に貢献したと自画自賛。 オレも、元気出してブイっと行こう。 そういえば和ちゃん。オヤジのお古、前あきラクダを履いて冬本番を踏ん張っている。 ★12月23日 昨日は冬至。冬将軍第一発目も去り、日の出を和ちゃんと一緒に観た。午前7時17分前後に南東? 上寺山の方向に昇り始めた。日の出は勢いがいい。アッという間に眩しさが増し、肉眼で観るのがキツクなった。 「ウワー!! 凄いなあ!! なんかええ事あるかなあ?」 和ちゃんが微笑みながら満足そうな表情。まだまだ感情豊かだ。オレもスコブル嬉しくなる。 「ええ事あると思うでホンマ」 そして、デイサービス・和みのときへ元気に出陣していった。 オレは岡山へ。グロスで茶して、オッ!! そういえばグロスの川本氏から聞いたのだけれど、和ちゃんの写真を撮ってくれている蜂谷師匠が来年秋(キャー!! 先が長い。このご時世、一寸先は闇)、ライフワークとしているツール・ド・フランスの写真集を上梓するとのこと。とうとう念願叶ったのだなあ!! で、繁華街を歩いていると、どの時代の後輩かは記せないのだけれど、オレが可愛がっていた後輩に会った。懐かしかった。土木方面の社長をやっているはずだった。小一時間話した。 ビックリ。会社は倒産していた。離婚。今は一人で生きていると言う。借金が残り、不動産を売却し、そして自己破産に持ち込むとのこと。以外にサバサバしており、苦労が顔に出ていない。 「なんとか人生やっていけますよ」 オレはこいつを偉いと感心した。なんせ、聞けば、お母さんがアルツハイマーを患っていた頃に出火させてしまい家は焼けてしまったとも言う。もちろんお母さんが出火させた。 オレはこいつの話に引き込まれた。アルツハイマーの勉強をオレ以上にしている。その上、オレなんかが真似できない優しい介護をお母さんにしてあげていた。 オレは名刺を渡し、ヤツの携帯番号をメモリーした。 十数年ぶりに再会した後輩とアルツハイマー談義。そして、オレはこいつと近々に、また会わなければならないことになると思う。オレに力を貸してもらうために。 神様は結構、良い巡り会いをさせてくれる。信じてはないけど、神様、ありがとう。 ★12月24日 今日は、クリスマスイブ。オレがバレンタインデイと並んで年間二大厄日と位置づけている日だ。若い頃は、こういう日がなにやらとても寂しくて悔しくて。ハッキリ言えば、彼女がいなかったというだけの話で、哲学するほどのことではありません。しかし、今になってもあまり好きになれない日だなあコンチクショウ。こういうのもトラウマ? ところで、昨日は有意義なランチタイムを過ごした。どういう風に? と問われてもここでは記せない。 「ナイショだからね」 ということだったので。ランチしたのは介護職の親しい友人。 老婆心で書き加えれば、男女間の事柄とは一切関係ありません。残念ですが。 イブの夜も和ちゃんと一緒。 ★12月25日 この日記は24日の午後2時に記していて、今、和ちゃんにビニール袋たたみをお願いしている。オレの隣で、和ちゃんは真摯にビニール袋と格闘しているのだけれど、 「エイエイ」 と掛け声も入る。今日は調子がいい。3分もしないうちにキレイにたたんでしまった。この母は、オレがお願いしたことには異論を唱えない。必ず、 「ハイ」 お願いする事が少しづつ限られた範疇にはなっているけど。 ところで今日の午前中、ある女性と会ってきた。もちろん、この後の展開をここに記すことはできないケケッ。 と書いてしまいたいところだけど、残念。彼女は二人の男の子同伴。オレは和ちゃん同伴。奇妙な取り合わせで会話は進んだのだけれど、彼女の依頼でオレはもしかしたら来年、ある教育者と公開で対談というのを行うことになるかもしれない。 ただ、その教育者なる人のことをオレは認知しておらず、帰宅して彼のHPを覗くとキャー!! 比較するのは嫌いだけれど、オレとは格が違う様相。オレはキリだから誰と比較しても格落ちは仕方ないのだけれど、対談するとオレ自身が恥をかきそうで。 とはいえ、面白い巡り合わせでもあるし、正式な依頼があれば受けることにしている。 しかし、人生、なにが起こるか分からないなあホンマのホンマ!! しかししかし、とうとうイブだ。イブの夜に、寂しく切なくシコシコやってる男性軍、哀れってか。オレもそうだった。過去形にしたのは、今はそれどころではないからで、それに47歳という年齢もあってか一人でもダメージはほとんどない。慣れってヤツかもしれないなあ。 でもなあ、東京の孤独はきつかった。 嫌だイヤだ。この文体・文面・流れはイブに呪われている。 ★12月26日 なにやらクリスマスモード一色だった世間も、新年を迎えるモードに一気に変身したなあ。オレには本当にどうでもいいことなんだけど、正月グッズだけは整えないといけないとは思っている。基本的には、そんなモノに金銭を出したくない。 というのも、今日(これはマタマタ25日の午後4時から書いてます)も和ちゃんのパッチというかズボン下をまとめて買った。冬将軍打倒のためだけれど、結構な出費だ。考えてみれば、オレはオレのモノをほとんど買ってない。ジーパンも破れ放題。破れ放題だからジーパンの下にラクダを履けない。 47歳で、ジーパンのケツ付近に穴だらけというのも情けない。だけど履いている。2枚とも穴だらけで、それを交互に洗濯して履いている。ヤッパかなり情けない。自覚してます。 で、帰宅したら、S新聞のO氏から封書。彼は和ちゃんとオレの記事を二度にわたって書いてくれた記者さんだ。文面を読んでると、副部長となっている。栄転だ。 オオッ!! と嬉しくもなったけれど、反面、オレは世間から取り残され状態を改めて実感。でも、O氏が出世してくれるのはありがたい。この人、とってもいい人だから。 そろそろ和ちゃんが帰宅する。デイサービス・ゆう倶楽部長浜へ出陣するのは今日が最後。和ちゃんを出迎えて、責任者の鹿村さんにお礼を言っておかないと。 ★12月27日 ついさっき岡山から帰宅。現在時26日の午後2時49分。かなり風が強い。 さっそく洗濯物を確認。和ちゃんの厚めのパンツ等々がよく乾いている。なんか嬉しくなっちゃうなあ!! それに今朝は、和ちゃんがデイサービス・和みのときに出たあと直ぐに掃除機をかけたし。まあ掃除は、オレの喉に塵が入り込み咳き込んだのが発端だけど。 それはもう、とんでもなく埃が目に付き、その埃が直撃してくるのでは辛抱たまりません。そこで、致したくなく清掃したという次第。もっとも、目に見える範疇だけというお粗末だけど。とはいえ、硬派モドキのオレが良く頑張っているもんだと思う。 そういえば、今朝早々に蜂谷師匠の奥さま(元インターハイ・国体の水泳選手。元ミスなんとかではありません)から非通知設定で携帯に電話あり。師匠が交通事故の被害者になって脚を骨折モドキしたとか。入院はしていないのだけれど、ギブスを填めて家で静養中らしい? ご自愛ください。 というわけで、30日はオレが和ちゃんの写真を撮ることになり、もちろんオレの一眼レフで撮るのだけれど、ちゃんと撮れるかな? 和ちゃんの77歳の誕生日を。 しかし、ありがたいことに和ちゃんは元気よく今朝もデイサービスに出発してくれた。脳以外は、オレより健康体なんじゃないか? と喜んでみたり不安になったりの今日この頃です。 アンビバレンツな表現だけど、痴呆介護している人たちには理解も納得もできるはず。これも一種のジレンマですね。 踏ん張りましょう。 ★12月28日 昨日は通常通り、和ちゃんと買い物に出た。かなり冷えていたけど和ちゃんは元気イッパイ。最近では、和ちゃんが外で歩行していてもあまり転ぶということに注意しないオレがいる。 で、プラッツからの帰路、和ちゃんにトイレットペーパー12個入り二枚重ねを持って帰ってもらった。小さな手に可愛い手袋。この手袋はオレが買ったのだけれど良く似合う。 和ちゃんはオレの問い掛けにも、大丈夫を連発して我が家まで持ちこたえた。 汗を額にかいている。背中に手を入れるとビッショリ。直ぐにシャツを着替えさせて洗濯機へ。オレの穴あきだらけジーパンと一緒に洗濯。 でも、自分も役立っている、という自覚が和ちゃん自身に喜びを与えているようだ。二度手間・三度手間になっても、いくつかの仕事を与えてあげないといけないかな。もっとも、その時にオレが怒鳴ることを控えないといけないのだけどネッ。自信ないなあ?? ★12月29日 参った!! 和ちゃんが転んだ。 「ウキャ!」 という声を聞き後を振り向くと、和ちゃんが道路に手から滑りこんでいた。 28日の日記で、転ぶことに注意しないオレがいる、と記したばかりだったから罰が当たったのか? いつもとは違う道でプラッツに買い物に向かったのだけれど、マンホールのフタで躓いた。ズボンの左膝に穴が空いた。ただ、ズボン下の膝にパットが当ててあり、血が出るということはなかった。思ったより衝撃は少なかったようだけど、明日は腫れているに違いない。これは28日の昼に書いている。今、和ちゃんはNHKのコロッケの番組を観ながらケラケラ笑っているけれど、今日は朝から、オレは怒鳴り散らしていたのに。 和ちゃんが転んだ時も、 「アホウ!! またズボン買わんといけんがな」 脚を心配する前に、1000円のズボンの方が気がかりだった。貧乏は悲惨だ。 ただなあ、オレは帰宅して昼食後、和ちゃんにウンチングスタイルが確保できるか確認した。 「痛いなあーー」 と言いながら、なんとか踏ん張れそうだけれど、なんか変? 変なはずだ。和ちゃんに聞けば、“右”膝をさすりながら右膝が痛いから上手く座れないと言う。 オレの辛抱はたまらんでホンマ!! 正直、時々、心底からオレの良心を消去したくなる。自然消去もありえるか? オレ同様に、正月が恐い痴呆介護者も多いんだろうなあ。 そして時間は飛んで現在時午後4時15分。コープに行ってきた。仲良しに戻ってお買い物。脚の具合を確認したいのもあったのだけれど、健脚は申し分ない。これで、今夜も爆睡してくれるだろう。 ★12月30日 プラッツで昨日、正月用グッズを買った。といっても、食料品は皆無。プラッツは元旦から営業するので買いだめはしない。まあ、元旦ぐらいの食料は確保しておくかな? 週間天気予報でも、正月三が日は今のところ寒波らしき存在は確認されていないし。 で、昨日は二度、 「アレ? 今日はお母さん一緒じゃないんですか?」 と問われた。オレが歩くところに和ちゃんあり、だからなあ地元では。 さてと。今日は和ちゃん77歳の誕生日。デイサービス・和みのときで誕生会(利用者さんは皆、誕生日を祝ってくれる)をしてくれる。昼食までに着きたい。 ではオレも、いざ出陣。 ★12月30日 誕生会 デイサービス・和みのときで77歳の誕生日を祝ってもらった。料治さんの手作りケーキ。そしてハピバースデイがカセットから流れ、 「和子さん。お誕生日おめでとう」 職員・利用者さんから祝福され、和ちゃんの目に涙。 些細な行事だったかもしれない。 しかし、オレはスコブル感動した。優しい人たちというのは、確かに現存するのだ。 そりゃあ仕事だから、と言ってしまえばそうかもしれない。でもね。昼食の献立は、和ちゃんが好物だった“茶粥”と“かす汁”。この日のための特注。 「和子さんの好きな食べ物はなんですか?」 と事前に問い合わせがあったのだ。 オレも和ちゃんも、幸多い一日だった。こういう出来事があるから、オレも踏ん張れる。 ありがとうございました。 ★2003 12月31日 大晦日 とうとう大晦日。 とはいえ、今朝も普段と変わりなく起床。パンを食べて歯磨きをし、和ちゃんは今、デイサービス・和みのときへの出陣待機。今朝も元気だ。 昨日はHPに誕生会の写真をアップした。デジタルの古いタイプなので、といよりオレの技術不足で少々ボケが入っている。フィルムの一眼レフでも撮っているので、来年早々にもアップできると思う。 しかし昨日、和ちゃんの様子を観ていて感じたことは、やはりかなり気遣いしているなあ、と。自分の居場所を一生懸命探しているようにも見えた。アルツハイマーになっても苦労をかけているのだろうか? 和ちゃんは、怒られてもオレと居るのが一番良いと言っているのが頷ける。和ちゃんの様子を観ていて、心が痛んだ。 だけど、優しい人たちの中で見守られ、気遣いしているということが痴呆の進みぐあいを緩和させているのだとも思う。 このままでいいのだ。 さてと。和ちゃんは明日から4日間の冬休み。オレも踏ん張ろう。 では皆さん、良いお年を!! |